料理人の神様・磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
■栃木県小山市高椅 高椅神社(たかはしじんじゃ) 式内・旧県社
■千葉県南房総市千倉町南朝夷 高家神社(たかべじんじゃ) 式内・旧郷社
■奈良県桜井市谷 高屋阿部神社(たかやあべじんじゃ) 式内・若櫻神社摂社
日本料理の料理人のことを関東では、板前、関西では、板元と呼びます。人のみでなく、料理の法や技術を板前といい、追廻し、下洗方、立洗方、焼方、脇鍋、立鍋、脇板、本板という長い修行の道をたどる厳しい世界を作っています。
よく、料理組合などの主催で、古式豊かな包丁式がおこなわれますが、その時、正面の床の間には、「磐鹿六雁命 四条山蔭中納言藤原政朝卿」と書かれた掛け軸が祀られます。
磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)〔祟神天皇の御代、四道将軍の一人に任ぜられた大彦命(おおひこのみこと)の孫〕こそ日本料理の祖神で、このことは、続日本紀(しょくにほんぎ)・神護景雲(しんごけいうん)2年(768)の条にあります。
つまり、景行天皇の東国(とうごく)巡幸(じゅんこう)の折、上総国(かずさのくに)淡水門(あわのみなと)に渡られた時、そこで、白蛤(はまぐり)を獲られました。その時、随行していた六雁命が、この蛤と鰹(かつお)でナマスを作って差し上げたところ、天皇は大変喜ばれて、膳臣(かしわでのおみ)の姓を下賜(かし)されたといいます。そして、その後裔(こうえい)である高橋氏が代々、内膳司(ないぜんし・うちのかしわでのつかさ)に任ぜられました。
とう訳で、板前さんの信仰を受ける栃木県小山市の高椅神社 (たかはしじんじゃ)。
高椅神社は、この他小社ながら、静岡県三島市松本にある高椅神社(現社名・高橋神社)、奈良市八条町の高橋神社が、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に載せられています。
千葉県南房総市千倉の高家神社 (たかべじんじゃ)。
の新嘗祭(にいなめさい)にあわせておこな
われる「包丁式」
なみさい)には、包丁供養祭が営まれる
奈良県桜井市谷にある若櫻神社の摂社(せっしゃ)・高屋阿部神社 (たかやあべじんじゃ)のいづれも、高橋家の流れを汲み、祭神は磐鹿六雁命です。
この六雁命と共に、掛軸に書かれた、山蔭(やまかげ)中納言というのは、いわば料理の中興の祖というべき人で、光孝天皇の命により新式の技法をあみだし、四条流を唱えました。〔※藤原山蔭は平安前期の公卿(くぎょう)で、京都の吉田神社、摂津(せっつ)の総持寺(そうじじ)を創建した、また魚鳥料理の包丁術を創始した〕
吉田神社創建に貢献された藤原山蔭卿
を祀る社で、山蔭卿は調理・調味づけに
秀でたと言われており、料理飲食の祖神
として、多くの料理店や業界の方々等の
信仰を集めています、毎年5月8日の例祭
には、生間流(いかまりゅう)包丁式の奉納
があります
以後、宮中の料理は高橋氏、臣下の料理は四条流がまかない、室町時代には、四条流から分れた大草、進士、園部、生間(いかま)等の諸流が起こったといわれています。
高椅神社は、一名を鯉の明神とも呼ばれ、氏子は、決して鯉を食べないという風習があります。
これは、後一条天皇の長元2年(1029)、井戸を掘った時、大きな鯉が出てきたので、天皇に献上しました。これにより天皇より、「日本一社禁鯉宮(きんりのみや)」の勅語を賜ったのにはじまるといいます。ですから、今でも氏子では、5月の男の節句でも、鯉のぼりを決して立てないのだとか。
以上、料理人の神様をまつる神社をご紹介しましたが、当波自加弥神社(はじかみじんじゃ)は香辛料・調味料の神なので、料理上達の神様です。料理の腕をあげたい方はぜひご参拝ください。