「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」へ参加のため、先週、江戸へ向かった折、参加された氏子のYさんが、感慨深げに平成元年1月8日(日)の地元紙・北国新聞を持参されたのでした。


第1面の記事には、『新元号名は、中国古典・史記五帝本記にある、「内平らかに外成る」と書経(しょきょう)の大禹謨(だいうぼ)の「地平らかに天成る」を典拠としたもので、「国の内外、天地に平和が達成される」との意味が込められた』とあります。


この額は、「大正」の元号を推進し、「昭和」でも起草者の一人であった、金沢出身の旧宮内省御用掛、国府種徳(号・犀東)が、昭和10年に当神社本殿竣工を記念して揮毫(きごう)されたもので、境内の「謝恩詩碑」にも漢詩を纂(さん)し、揮毫されております。

はじかみ神主のぶろぐ


記事には、『政府は7日午後の臨時閣議で、皇位継承に伴い、「昭和」に代わる新元号を「平成」とすることを決めた。新元号は新天皇陛下が新元号を定めた政令に署名され、直ちに官報で公布の上、8日午前零時から施工された。初年について政府は「平成元年」と呼称することにした』と書かれています。

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第2面には、昭和天皇の御事跡と、新元号「平成」についての詳細が…。
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第3面は、みなさまお馴染みの、新元号「平成」を発表する、当時の小渕官房長官の写真です。
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第4面には、昭和天皇の御治療の軌跡について記述されています。
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第16面には、今上陛下のこれまでの歩みをご紹介する紙面です。
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第17面は、当県に御行幸啓された際の特集記事です。

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第18面は、当時はまだ御成婚前の皇太子殿下と、秋篠宮文仁親王殿下(当時は礼宮文仁親王殿下)、黒田清子様(当時は紀宮清子内親王殿下)の特集。
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第19面は、新天皇皇后両陛下のこれまでのご活躍を特集で…。
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第20面は、昭和58年5月に、昭和天皇様が全国植樹祭で当県へ御行幸の砌(みぎり)、能登一ノ宮・気多大社の「入らずの森」をご視察された時のご様子が紹介されておりました。

この時、加賀市の塩屋海岸とともに、入らずの森についてご進講された故・里見信生先生(元金沢金沢大学教授、石川県巨樹の会初代会長)は、当神社の兼務社・御馬神社の氏子さんで、私も、先生がご生存中、よく社叢林(しゃそうりん)の維持についてお尋ねしたものです。

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昭和天皇様は、石川県で開催された全国植樹祭の翌年の元旦、「斧入らぬみやしろの森めづらかに からたちばなの生ふるを見たり」と、気多大社のカラタチバナを御製(ぎょせい)に詠まれたのでした。

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気多大社では、これを記念して、入江元侍従長揮毫による「御製碑」を建立したのでした。