A long time ago

私が若い頃のお話です。


目黒駅から、徒歩5分のところに、その家がありました。

すぐ近くには、日の丸自動車学校があります。


この家は、鉄筋コンクリート造りの3階建てで、この立地条件でこれだけの家を構えるとは…。

まさに、山の手の、今で言うセレブです。


このM家は、お父さんが古神道の大家で、今流行りの、スピリチュアリですか。

お母さんの実家は、信州・戸隠神社に代々ご奉仕する神職であり、宿坊の講社聚長をつとめる家から嫁がれたそうです。

子供さんは、たしか、一男二女で、長女はY子といい、私と同い年で、M神宮の巫女をしておりました。


その家の3階には神殿があり、隣の部屋には仏殿もありました。神殿中央には大きな水晶玉が置かれており、神殿前のサッシ戸を開けると、小庭園風に岩の上から瀧が流れており、竜神をまつる小さな祠(ほこら)がありました。


その不思議な家に、何度か通うようになり、酒の強いお父さんと、酒食をともにしたものですが、酒は決まって「白雪」で、神はこの酒がことのほか好きなのだとか。


ある日、友人の見舞いのため、慶応病院へ行った帰り、この家へお邪魔した時のこと、お父さんは「君の背後に死霊がついている、幸い大したものじゃないし、守護霊に君のお祖父さんがいて、守ってくれてるようだから、すぐ除霊する」といって、水晶玉を取り出して、中臣大祓(なかとみのおおはらえ)を唱えながら、カッ!と叫ばれた瞬間、私の意識は一瞬飛びました。


朝、目が覚めると、神殿前でした。

お父さんの話では、病院へ行くと、よく死霊などがつくのだそうです。


また、ある夜、お伺いすると、年配の女性と息子と思われる30歳くらいの男性が祈祷を受けておられました。

帰り、目黒駅までご一緒したのですが、なんと、私の隣県・富山県から、隔週で除霊に通っているという。

息子に悪霊がとり付いて、除霊しても、すぐに、からす天狗や、キツネつきなどが、とり付く体質なのだとか。


そんな、私も、このM家のY子と付き合うようになり、付き合うといっても、2~3回お茶を飲む程度でした。


そんな、ある時、ひさびさにY子から電話があり、最近体の調子が悪く、体重が減ったという。

さっそく、夕方家を訪ねると、お父さんが、病院へ行って検査しても、原因がわからないという、Y子は見るからに顔の頬がこけて、目が奥二重になっていた。


Y子は、駅まで送って行くというので、一緒に閑静な住宅街を歩いたのですが、ふと、私に向かって「自分の病気が怖い」と、涙ぐみました。

私は、思わず抱きしめて、最初で最後の口づけをしました。


まさか、これが最後のお別れになるとは…。


それから、2週間ほどたって、彼女のお父さんから連絡があり、様態が急変して亡くなったという。

21歳の若さでした。

お父さんは、解剖をお願いしたところ、「すい臓がん」であったそうで、当時の医療技術では、すい臓がんはなかなか発見しにくいのだそうだ。


お父さんは、「自分が除霊した悪霊が、全部、霊感のつよい娘についてしまった」と悔いることしきり。


荼毘に付された数日後、目黒雅叙園でお別れの会が催され、私も出席しましたが、隣席の、Y子の友人・H子さんから、急遽入院したので、亡くなる2日前にお見舞いに行ったそうで、私に会いたいと言っていたという、でも、こんな姿は見せられない、とも語っていたそうです。

その際、お父さんから、娘のライターだからと、形見分けにいただきました。


それから、一年後、杉並区のOM八幡宮の大祭へ助勤に行った時のこと、休憩中、タバコをふかしていると、武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫と名乗る、Tという女性神職が、「私は霊感があるからわかるけど、このライターを持っていると、幽世(かくりよ)へ導かれるわよ」というのです。

Y子のことは、一切話していないのに。


私は、怖くなって、実家へ帰省した折、御霊舎(祖霊舎)裏に安置したまま、現在に至っております。


Mご夫妻とは、年賀状のやり取りをしていたのですが、10数年前、箱根に終(つい)の棲家(すみか)をかまえたとの、転居報告のハガキをいただいたのが最後で、もうご高齢なので、今はどうしておられるか…。


長い話で、どうぞスミマセンでした。


あ、ヤバ、今日は大安で、朝7時から地鎮祭があるんやった。