『生かされて生きる』は、

白山本宮・加賀一宮白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の太田辰巳前宮司が、昭和43年の宮司就任以来、社報『白山さん』で執筆された神道講話をまとめて発刊された名著です。


はじかみ神主のぶろぐ-生かされて生きる
昭和55年の「御本宮御遷座五百年式年大祭」

記念して発刊された『生かされて生きる』


何度読み返しても、神道人として、その博識といい、人生経験といい、神社や神道のことをわかりやすく説いておられます。

今の私には足元、いや足の爪一本にもおよびません。


今、ご存命で、もし、ブログで執筆なされたならば、多くの方が感銘を受けること、間違いありません。


はじかみ神主のぶろぐ-続生かされて生きる
昭和60年の「昭和大造営竣工慶賀祭」

記念して刊行された『続生かされて生きる』


さて、神社の参拝作法は、二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)です。


とは、神職が深々と90度の礼をする作法ですが、一般の方はここまでしなくとも、心持ち深く礼をされるといいでしょう。


はじかみ神主のぶろぐ-拝
  立礼(りゅうれい)による(はい)


拍手(はくしゅ・かしわで)は、二拍手短拍手(みじかて)が基本ですが、出雲大社へ参拝されたことのある方は、確か、四拍手だったぞ!、と申されるでしょう。


伊勢の神宮の神職による、八度拝(はちどはい)の際の八開手(やひらで)や、出雲大社、大分県の宇佐神宮、新潟県の弥彦神社(いやひこじんじゃ)の四拍手など、4回以上手を打つ長拍手(ながて)という、その神社固有の作法もあります。


一昨年暮れ、細木数子がテレビ番組で、「女性が神社参拝をする場合は、拍手は音を立てないのが正式な作法」と発言したもんだから、初詣に来られた女性の中に、拍手を打たない人が多々見受けられました。


はじかみ神主のぶろぐ-参拝の作法
     正式な参拝作法


まったく、困ったもんや。全国の神社や氏子さんから、苦情が寄せられたという、当たり前じゃ!。ヽ(`Д´)ノ


私の個人的考えですが、「二拝二拍手一拝」「拝」は、の動きであり、タテのつながり、つまり、ご先祖様から連綿と続く家族・親族など、タテの関係と考えます。


そして、「拍手」は、横の動きであるので、ヨコのつながりである、友人・知人・近所・職場の仲間などをさします。


ですから、人は、タテとヨコのつながりがないと、生きてはいけない、ということです。

自分ひとりでは生きてはいけないのです。


神様のお蔭、ご先祖様のお蔭、家族親族のお蔭、そして、友人・知人のお蔭によって「生かされて生きている」ということを、「拝と拍手」という形であらわしているのではないでしょうか。