今日、衆議院選挙が公示されました。
親戚の、I神社での、選挙祈願祭の助勤へと行って参ります。
ちなみに、神社ではアルバイトとは言わず、助勤(じょきん)という言葉を使います。
古い用例では、新撰組の永倉新八(ながくらしんぱち)が、「副長助勤」で、局長、副長に次ぐ三番目の位でした。
私は、平成2年から同10年まで、保護司をしておりました。
ところが、民生委員と掛け持ちをするようになり、あまりの忙しさに、保護司の方を辞しました。
保護司は、無給の国家公務員で、更生保護法にもとづいて、少年院、刑務所を仮釈放した人や、保護観察付きの執行猶予刑を受けた対象者と、月に一回は面談を行ないます。
昔は、貧困から非行に走る子が多かったそうですが、今は、普通の家庭、むしろ少し余裕のある家庭の子が多いですね。
で、共通しているのは、子供の頃、甘やかされて育った子が、道を間違えるということです。
対象者に話を聞くと、子供の頃、なんでも買い与えてもらった、というのです。
「お母さん、これ買って~!」
「いいわよ」。
じゃ、ダメなんです。
子供は、一回駄々をこねて、好きなものを買ってもらうと、また、駄々をこねれば、親が買ってくれると、信じ込むようになります。
親が、横断歩道で、信号を待ちきれずに、赤や黄色で渡ると、それを見た子供は、親の真似をするのと同ですね。
つまり、子供には、我慢(がまん)を覚えさせることが、大事なことです。
優しく接することが子への愛情と、はき違えている親がなんと多いことか!。
そして、「怒る」と「叱る」は大きく違います。
事の善悪を子供にはっきりと教えることが、「叱る」で、まさに愛情だといえましょう。
当地の山間地に住むSさん70歳は、土木作業員の傍ら農業を営む、兼業農家です。
20年ほど前、道路工事をしていると、運転手付きの黒塗りの車が、すぐ側で止まったそうです。
中から降りたのは、母親と見られる着飾った女性と、小学生の男の子で、
母親は、おもむろに、Sさんを指さして、
「00ちゃん、お勉強しないと、あんな大人になるのよ」と、ひとこと言って、走り去ったそうです。
Sさんは、今までの人生で、あんな悔しい思いはなかった、と申しておりました。
その子は、今頃、どんな大人に育っているのでしょうかね?。
躾(しつけ)という字は、「身を美しく」と書きます。
そして、親という字は、「木」の上に「立」って「見」る、と書きますが、子供が心配で、木から降りて手助けしたくなく気持ちもわかりますが、木の上からそっと見守ることこそ、子供のためになるのではないでしょうか?。
でも、ワシの保護司時代、かほく市のK宮司が、「お前は保護司やなくて、いつも人に迷惑かけるから、保護され宮司」やて…!。