北陸は、まだ梅雨明けせず、どしゃ降りの毎日です。

家内も、洗濯が乾かないと、なげくことしきり。


昨日は、能登輪島で、集中豪雨による床下浸水があったようで、丁度一年前の金沢でのゲリラ豪雨による水害。あの悪夢がよみがえります。


大安であった昨日、地鎮祭奉仕で回ったんですが、雨男の私に、まるで付いて来るかのよに、大雨が襲います!…


はじかみ神主のぶろぐ-地鎮祭
地鎮祭斎場です、テントの外は大雨


さて、25日の天神さんの日に、兼務の梅田町菅原神社の月次祭(つきなみさい)をご奉仕して来ました。


この神社は、兼務ではありますが、当社の境外末社でして、社殿が北に面しているのは、本社である波自加彌神社に向けて建てられたからです。


はじかみ神主のぶろぐ-梅田菅原神社
    梅田菅原神社社殿


わずか、50軒ほどの集落ですが、山側環状道のICと北陸新幹線の高架が交差して、複雑に入り組んでいます。


加賀の「梅田の里」と伝わる当地は、謡曲「鉢の木」の舞台として有名で、町内には、鉢ノ木食堂という大衆食堂もあります。


謡曲・鉢の木(はちのき)は、北条時頼(ほうじょうときより)が病気のため、一族の長時に執権職(しっけんしょく)を譲って、最明寺(さいみょうじ)と名乗って、諸国を行脚(あんぎゃ)したという、廻国伝説に由来する。


上野国(こうずけのくに=群馬県)佐野庄で大雪のため道に迷った時頼は、あばら屋に住む、佐野源左衛門常世(さのげんざえもんつねよ)に一夜の宿を借り、時頼を招き入れて、秘蔵の鉢の木(松・梅・桜の盆栽)までも薪(たきぎ)代わりに焚(た)いてもてなした。


鎌倉に戻った時頼は、ほどなくして、諸国の軍勢に召集をかけたその時、源左衛門はやせ馬を駆(か)っていち早く馳(は)せ参じ来た。

感激した時頼は、さっそく所領(しょりょう)を安堵(あんど)し、おまけに、鉢の木の返礼として、加賀(かが=石川県)の梅田、越中(えっちゅう=富山県)の桜井、上野(こうずけ=群馬県)の松井田の三ヶ庄を即座に与えた。


神社入り口には、金沢市観光協会が建立した「梅田の里」の碑と、「鉢の木」の由来碑があります。


はじかみ神主のぶろぐ-鉢の木石碑
       「梅田里」の碑


はじかみ神主のぶろぐ-金沢市観光協会石碑
     「鉢の木」由来碑


また、3月25日の春季大祭には、地元の能楽会による、仕舞「鉢の木」が奉納されます。