元大関の出島関が引退しました。

同年の、ヤンキースの松井選手とともに、郷土の誇りだったのに、残念です。

やはり同い年で、幼い頃からのライバルであった、能登出身の栃乃洋関も肩を落としていることでしょう。


親方・大鳴門としての、今後の活躍をお祈りいたしみす。


数年前、曹洞宗の大本山である、福井の永平寺へ行ったとき、

修行僧の方の法話の中に、


「永平寺というと、皆さんはすぐに座禅を思い浮かべるでしょうが、修行とは、何も座禅や苦行だけをさすものではなく、日常の生活の中にむしろ禅があります。つまり、昔からのしきたりや、伝統をずっと守り伝えることの方がはるかにむずかしいのです。これこそが修行であると」…。


私は、これを拝聴して、なるほど思いました。


近年、地方の自治体や商工会では、誘客を目的に「00祭り」や「00フェスティバル」などと名打って、様々なイベントを企画しています。

よさこいソーランなど成功した例もありますが、そのほとんどは打ち切りか、別のもの変更されたりして。


神社も例外ではなく、一時の発想で行事を計画しても、人が集まらなければすぐ止めたでは、神様に申し訳ない。


当社の場合でも、秋季大祭でおこなわれる神輿渡御(みこしとぎょ)や加賀獅子舞など、先祖から連綿と受け継がれてきた、これらの神事や神事芸能を後世に伝えるのはいかに困難かと、痛切に感じます。


はじかみ神主のぶろぐ-当社神輿 当社の御神輿


戦後の高度成長期以降、都市化の波と、レジャーの多様化により、担い手の中心であった若者たちが、伝統芸能から離れて行きました。


はじかみ神主のぶろぐ-神輿と獅子舞 巫女による鈴祓い


人が集まらず、神輿や獅子舞なんか止めてしまえ、という時期も過去にありましたが、青壮年を中心に保存会を結成して、再出発し、今では金沢を代表する獅子舞として、金沢百万石まつりなどにも毎回出場し、活躍の場を広げています。


はじかみ神主のぶろぐ-当社獅子舞 当社の加賀獅子舞「養老獅子」、名称は当神社が養老元年に御創建されたことに由来します。


私は、獅子舞の若い衆に、いつも言っていることがあります。

「伝統芸能をしているもんは、女にモテるんや」と。…本当!。


そして、私自信も、はじかみ大祭(生姜祭り)を、ずっと継続していくことが、修業ではないかと。