明治天皇御製
我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき
御製(ぎょせい)とは、天皇が詠まれた和歌をいいます。
この御製が奉書された、御宸筆(ごしんぴつ)の扁額(へんがく)を初めて拝したのは、学生の時でした。
靖国神社の「みたままつり」に、大学の友人3人でお参りに行ったのですが、大小3万を超える献灯や、芸能人を含む、各界名士が揮毫(きごう)した懸雪洞(かけぼんぼり)が掲げられ、九段の夜空を美しく彩っていました。
参道には、夜店や見世物小屋まであり、「親の因果が子にうつり…」と、
また、大村益次郎の銅像前では盆踊りまでやっており、「ハァ~、踊り踊るなら、ちょいと東京音頭、ヨイヨイ」と。
そんな喧騒の中、特別のご配慮で昇殿参拝させていただきましたが、吊灯籠の明かりだけの浄暗(じょうあん)の中に、御本殿に掲げられたこの扁額を目にして、感涙しました。
恐れ多くも扁額を撮影することは出来ないので、参拝記念の手ぬぐいに御製が…
靖国神社は、今さら申すまでもありませんが、
明治7年(1874)、1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた、この御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創立された神社です。
「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社では、7月13日から16日まで毎夜、御英霊(ごえいれい)をお慰めする祭儀、「みたままつり」が執り行われます。
日本古来の盆行事にちなんで、昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
参道には夜店や見世物小屋が立ち並ぶ、正面にあるのは花神・大村益次郎銅像
平成3年に、当社の氏子旅行で武蔵野御陵と靖国神社への正式参拝を企画した際、多数のご遺族が参加されましたが、その中で遺族婦人部の方々は皆、米袋を持参して靖国神社へ奉納しておられました。
訳を聞いたら、戦地でひもじさに絶えた亡き夫に食べさせたいがためであると…。
また、花嫁人形を奉納されている方もおられました。嫁をもらう前に戦死した息子に、せめてあの世で添い遂げて欲しいとの、母の想いから…。
そして、参拝後、バスの中でガイドさんが歌う、「九段の母」でまた、涙したのでした。
九段の母 作詩 石松秋二 作曲 能代八郎
1 上野駅から 九段まで
かってしらない じれったさ
杖をたよりに 一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた
2 空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
神とまつられ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに
3 両手あわせて ひざまづき
おがむはずみの お念仏
はっと気づいて うろたえました
せがれゆるせよ 田舎もの
4 鳶が鷹の子 うんだよで
いまじゃ果報が 身にあまる
金鵄勲章(きんしくんしょう)が みせたいばかり
逢いに来たぞや 九段坂