今日は、新盆です。
金沢では新盆と旧盆があり、旧市内が7月15日で、私のような45年前の市町村合併で金沢市へ編入された田舎者は、8月15日に旧盆を迎えます。
金沢の人がお墓参りというと、野田山をさします。
野田山墓地は、天正15年(1587)、藩祖・前田利家公が、兄利久を葬ったのが始まりで、以後前田家累代の墓所となり、前田家墓所は本年2月に、国の指定史跡となりました。
![はじかみ神主のブログ-前田利家公の墳墓](https://stat.ameba.jp/user_images/20090715/01/hajikamijinja/82/c9/j/t02200146_0400026610213630232.jpg?caw=800)
その後、家臣団、百姓、町人が宗派、身分に関係なく麓にいたるまで墓をかまえ、明治以降は市営墓地も造成されて金沢における一大霊地となっています。
ところが、お盆とその前の土・日は交通規制もかかり市内は渋滞し、なかなか墓にたどり着けない状態なので、10日の金曜日に義父や親戚の墓参を済ませてきました。
金沢では、キリコを墓前に捧げる風習がありますが、6年前にいくつかの寺院が、お盆後のキリコの焼却や後始末に困り、キリコ禁止令を出したところ、「名刺がわりのキリコがないと誰が来たかわからん」という不満の声が出たので、市内の業者が「板キリコ」なるものを考案しました。
今では従来の「箱キリコ」と「板キリコ」の比率は4対6だそうです。
市では、キリコや花も、盆が過ぎればゴミとなり、撤去に3日も要し、加えて、箱キリコだと釘を分別しなければならないが、板キリコだとそのまま焼却できるメリットがあるという。
伝統の箱キリコ、当家は神道なので、南無阿弥陀仏ではなく、奉灯と墨書する
確かにそうかもしれませんが、キリコは名刺代わりに取り付けるものではなく献灯するものです。
箱キリコは、この梅雨時期、風雨で破損することもありますが、裏の右上に「進上」、左下に「名前」を墨書して、蝋燭(ロウソク)を灯して先祖や関係者の供養をするのが、本義ではないでしょうか。