武藤敬司がとにかく見たかった | ジェリコの壁のブログ

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お疲れ様です。



昭和51年生まれのサラリーマンです。



武藤敬司の引退試合がついに迫ってきてしまった。


最後の「作品」となる内藤哲也戦は、


武藤敬司らしく!自らが一番目立った上で、華々しく散ってほしいと思っています。



少しプロレス小僧に戻ります。



私が小学生の頃、


武藤敬司は海外修行からスペースローンウルフとして帰ってきた。


が、当時はUWFとの抗争などで、

1人アメリカンスタイルの武藤敬司は新日本でどこか浮いてしまっていた。


そして、猪木世代と長州藤波世代の世代闘争。


なぜか?この世代闘争に武藤敬司は猪木世代に抜擢され戦っていた。


当然、負け役が多かった。言うなれば持て余されていた不遇の時代か?



そして次の海外修行。

89年くらいあたりからか。


グレートムタが誕生し、フレアー、スティング、ルーガーらトップ選手と渡り合っていた。


この頃はネットも衛星放送もDVDもない時代。


私は近所のレンタルビデオ屋さんを駆け回り、数少ない在庫の中から海外のプロレスのビデオを借りて見まくった。


水道橋のチャンピオンまで行って、

VHSをレンタルしてきてダビングしながら見る。


ビデオデッキが2台あればダビング出来ていた時代。


当時のWCWのスターケードなどの特番のビデオを見ては熱狂していた。


武藤敬司が一回りデカくなってる。

その上でオリエンタルな動き、あのガタイで信じられない素早い動きをするムタに心を持ってかれた。



そして、

90年の4月。ついにその武藤敬司が新日本プロレスに凱旋することに。


アントニオ猪木が一線を退き、藤波さんは腰の大ケガで欠場中、


全日本プロレスから出戻りの長州さんが頑張ってた頃、


橋本、蝶野もまだまだトップとは言えなかった時代。


いまいち盛り上がりに欠けていた新日本プロレスを救ったのは間違いなく武藤敬司だった。


あの凱旋帰国試合でいきなりIWGPタッグを取った試合のインパクトは物凄かった。



中学生になっていた私は、
ゴリゴリの全日本プロレス信者で基本は全日本プロレスだったが、

とにかく!武藤敬司が見たくて新日本プロレスの会場にもよく行った。

凱旋帰国当時のチケットにも武藤敬司を猛プッシュするデザインが多かった。



長州さんのワントップを追いかける闘魂三銃士。そんな時代。


武藤敬司がドロップキックしてるチケットなんて凄いでしょ…


前にブログにも書いたが、

グレートムタ首都圏初登場となった横浜アリーナにチケットも持ってないのに行って、

立ち見のチケットをどうにか入手して、ムタが見れた時の感動。

とにかく、武藤敬司が、グレートムタが見たかった少年時代でした。


その後の私は少し落ち着きます(笑)


全日四天王プロレスが頂点を極めていた頃、
新日本プロレスの試合に物足りなさを感じつつあり、

だんだん新日本プロレスの会場から離れて行ってしまった。

それだけ四天王プロレスの満足感が心地よかった時代が長く続いた。


そして四天王プロレス崩壊と共に日本のプロレスから少し離れ、WWFばかり見る時代へ。

武藤敬司が新日本プロレスを辞める。
なぜか武藤敬司が全日本プロレスの社長になっている。

この頃はあまり詳しくないです。

ハッスルにムタが出たり。

レッスルワンもしかり。


ただ、
武藤敬司と三沢光晴が初遭遇した時だけは感慨深かった。

若い頃から比較されていた天才同士。

武藤敬司がケアと組んでノアにやってきた。


東京ドームで行われたこの試合だけはどうしても「見ておかなくてはならない!」という義務感が発動し観戦した。


すでにこの頃は、
闘魂三銃士と四天王の他の絡みはポツポツ実現していた。

しかし、武藤敬司と三沢光晴という最後の切り札的な組み合わせである。

ただただワクワクした。


願わくば10年前にこれを見たかった。


そしていよいよ両者が対峙した。

同格を表現するように両者はリング中央で時計とは逆回りに間合いをはかった。

この絵だけで金が取れる「作品」だった。


いきなりエルボーからタイガードライバーで先制攻撃した三沢光晴。

レフェリーが物凄く飛んでいる(笑)


返す刀でシャイニングウィザードを放つ武藤敬司。


三沢光晴のエルボースイシーダ。


客席まで吹っ飛ぶ武藤敬司。


すげぇ試合をやっている。

東京ドームのビジョンに映し出された武藤敬司の表情にどよめく会場。

それが全てを物語っていた。


試合は三沢光晴が太陽ケアを仕留める。

武藤敬司は満足げに退場して行った。


その後、夢の続きやりましょうよ…と言っていたが、

天才と天才のシングルはついに実現することなく三沢さんは星になった。


この試合後の三沢さんのインタビューがとても印象に残っている。

今日は集中力に欠けていた。

武藤とやるって事で浮き足立っていた。

若い頃から比較されていた存在。

できれば30代に実現したかった。

でも当時の全日本プロレスと新日本プロレスでは交わることは考えられなかった。

それだけ感慨深い試合だった。


と、笑顔を交えながら語っていた。


プロレスを長く見ていると「夢」というものをたくさん見せつけてくれる。


武藤敬司に夢中になっていたプロレス少年が見ていた夢。

三沢光晴に夢中になっていたプロレス少年が見ていた夢。

その夢が叶った瞬間。それは紛れもない夢のような出来事であった。


引退試合では武藤チルドレンの内藤哲也がきっちりと夢の終わりを見せてくれるであろう。


私はスティングが引退試合の相手だったら泣いちゃうなと思っていたが、

やっぱり内藤哲也が1番良かったんだと思います。

棚橋弘至もよぎったが、
第一線を退いた感のある棚橋さんよりも今バリバリの内藤哲也で良かったと思う。


天龍さんの引退試合のオカダ戦を思い出してしまう。

きっちり天龍さんに引導を渡し、頭を下げたオカダカズチカ。

それと同じような内藤哲也の姿が見れる気がしています。


唯一無二の天才レスラー武藤敬司の最後の「夢」を静かに見届けたいと思います。


プロレスLOVE。


ジェリコの壁、かく語りき。