世界中で若者たちの理想とエネルギーが爆発した1968年‐ベトナム反戦運動、五月革命、文化大革命、日本の学生運動。

ソ連の共産主義支配下にあった東欧のチェコスロバキアでも、若者たちがデモやチラシで民主化運動を起こした。その機運は国中に広まり、検閲の廃止や言論の自由が認められ、ついに”プラハの春”が訪れたと国民が思った矢先、ソ連がワルシャワ条約機構の軍を率いてチェコスロバキアに侵攻。軍は、当時の最大報道機関であるラジオ局を制圧し、「ソ連がチェコスロバキア国民を救出に来た」と嘘の放送を流そうとする。しかし、ラジオ局の報道局員たちは、権力と戦車に立ち向かい、回線技術を駆使し、ラジオ局の外から真実の報道を続け、市民を励まし続けた。-武蔵野館のHPより転載

 

実際には、映画は1967年から68年に渡って進行する。1967年の私は14歳、中学2年生だった。そろそろ学校嫌いが本格的に始まった頃。長期欠席してテレビばかり見ていた。当時の私の興味の中心は、グループサウンズと呼ばれた、ロックバンド形式で歌謡曲を歌う、今から思うと珍奇なブームだった。それで、映画の時代背景など全く分かろうともしなかったため、”プラハの春”という言葉は知っていたものの、それ以外に理解していることはない。

 

ただ、”プラハの春”に例えて1979年11月、韓国で18年もの長期にわたって政権を独裁した朴正煕大統領が、側近の中央情報室部長に暗殺され、この映画のようにしばし訪れた自由の日々を”ソウルの春”と呼ぶこと、またそのつかの間の自由が全斗煥を中心とした軍部のクーデターにより、再び軍部独裁の時代が始まったことも酷似していることは、一連の韓国映画で学んだ。

 

作品の中で、ロネッツのが楽曲「ビー・マイ・ベイビー」が西側の自由を象徴するように流れるシーンがあった。ウィキペディアで調べるとこの曲の発表は1963年とのこと。チェコでは放送禁止されていたそうだ。日本でももちろんこの曲はヒットしたが、自由の象徴なんていうほどのものではなく、1966年頃から雪崩のように押し寄せてきた西洋のポップスの中の一曲でしかなかった。同じ歌でも、聴いた人の置かれた状況でまったく重さが違うのだな、と思ったことだ。

 

最後に、年が明けるとすぐに、武蔵野館の姉妹館、シネマカリテが閉館されるそうだ。ここで観た作品で印象深いものはすぐには思いつかないけれど、また一館、ミニシアターがなくなるのは寂しい。また、シネ・リーブル池袋も閉じるそうだ。ここでは「手に魂を込め、歩いてみれば」を観たばかりなのに。