ご心配をかけております。
ピークは折り返してるかと思います!

しかし、、
いつも以上に長い戦いしています。
既に8日経ったのかと。。
昨日まで熱が続いていました。

鼓膜もおかしくて、耳がほとんど聞こえてませんでした。。



原因は一つではなく、合併症の様ですね💦


ベーチェット病が悪さをしてる様で、回復が複雑です。

薬の当たりが難しい体質なんですが、


そもそも、デイリーケアで免疫をどれだけ上げたとしても、
免疫自体が炎症を引き起こしてるわけでして
答え合わせに答えがない感じです。


炎症や熱ってのは体を守るために起こるので、
その反応を抑えてしまうのも良くないけど、
僕の場合は過剰にその免疫反応が出てるわけでして、、

ステロイド系で押さえる等の方法もあるのですが、

しかし、
ステロイドで押さえつけようとすると
免疫が下がり、ウィルスが増幅するから感染症を引き起こしやすい。

結果的に、感染症を起こしてしまい、今に至る様です。



免疫をあげようだったり、
食事療法だったり、
ステロイドだったり、

アレルギーと同じ様に、
良いことすらも、体はマイナスにもプラスにも反応してしまいます。

だから難病なんでしょう。

そもそもそれが基本の体。

そこに付け加えて、あらゆる臓器が悪い。。

酸味のある物を接種すると胃拡張を起こしてしまいますし…


脳の動脈瘤もいつどうなるかわからなく、
目も鼻も喉も常に炎症。

さらに、
体の形も奇形だから肺が潰れて、心臓も押さえつけられていて…
それを治すために50センチのバーが2本も入ってる。

ベーチェットのせいなんでしょう、
バーの炎症が治る気配は無しです。


毎日、与えられた薬を飲み
毎月何かしらの検査を繰り返す。

この2ヶ月だけでも5回は胃カメラを飲んで
手術をし、造影剤も3回も飲んでたり、
全身麻酔までしてると考えると、

ワクチン一発で運が悪い人は後遺症がある様に

ここまで薬に浸かっていたら合併症も起こしますし、

しょっちゅう下痢もすれば、
熱も出ますよね。

炎症も感染症も、いろんな事が重なり合って当たり前な気はします。


薬で何かを抑えている反動で
また何かは生まれてるわけで…

今でもリンパ節が痛すぎて、鼓膜も破れそうな感じですが、、
苦しみを超える日を待っている段階です。


こんな話ばかりしててもなぁ、、

と思うから
数年前までは伏せてましたが

今日のテーマの
「真の壁」
って思うと、

伝えておくべき時に伝えておく方が良いのかなと思っています。

挫折や苦しみも、伝えることの一つなのかなと思う様になりました。






僕が体の事で苦しんでいたのは子供の時からですが、

トータル的に一番調子悪かった時期は20代後半です。

まだ独立する前ですね。

今でもこんな体型なのに
当時はさらに10キロ少なかったですからね。

170ほどの身長に48キロでした。

「真の壁」
の話につながるのですが、

僕にとっての壁は、僕自身には存在していたことはあまりなく、
僕にとっての苦しい壁と言うのは、
人をまとめたり、指導したり、結果を出させてあげたりすることがとても苦しい壁ではありました。



「誰かを成長させる事」

こんな難しい事は他にないと感じています。


今でもそうだと思いますが、
自分にとっては簡単な壁も、誰かにとっては難しいわけだから、
それを一緒に背負い、乗り換えていくのは、その子と同じだけの難しさと苦しみを味わう事になります。

それが組織の中でトップであると尚更、
組織全員の成長分の壁を背負います。


とにかく難しい。

特に美容室はお客様の声や顔がダイレクトにある職場なので、求め始めたらキリがない世界です。

求められてる事が分かればわかるほど、
体のことなんて構っていられない時期でした。

膝や首の怪我により、運動することを諦めてましたから、尚更、体調は悪化してしまいました。

当時のことを思うと、自分の体の事は5番目くらいの扱いでしたから、今以上にまともではありませんでした。


バイタリティの高さで乗り越えてたのもありますが、
自分の体質に期待していなかったんでしょうね。

諦めてたと言うか、
無理をしても、無理をしなくても
どうせ苦しみは変わらないからと。

我慢だけでやり遂げてたのかと思います。

その結果、お客様に笑顔が出てるならばと。
トレードをしてたのでしょうね。



体調は子供の時からのことなので、体調を理由にしてると何一つ成し遂げられないと思っていたから、それを選べなかったのでしょう。


子供の時から、それなりに知識を得ては改善に努力してはいましたし、家庭の医学とか読んでましたしね。
なぜか、愛読書でしたね。

ひたすら休んで寝る事もしたし、東洋医学も、山奥の治療院にも、言われるもの全ては素直にやってきたとも思います。

30歳になる頃までは
仕事に全てを捧げていたわけですが、
とにかく体が酷かった。

今のbelog の坂は降りることができない足でしたし、
首と肩が故障して、電車のつり革すら掴めなかったので、
電車の中では、前田さんの肩を借りてたくらいです。

信じられないですよね。

あんなに登山してるし、
あんなにスポーツできているのに、
吊り革すら持たないんですから。

完全に生活困難者でしたね。



30歳を迎え、独立したわけですが。
社員旅行でハワイに行った時に、一番の特技の水泳すらもできなくて、溺れて死にかけたのをきっかけに、自分の体を本気で治すことに目を向けました。

そこで震災も起きて、さらにその気持ちはブレずに向かったわけです。

体操の内村選手を診ていたドクターからも
手術でしか治らないと言われたのですが、
10年曲がらなかった膝や肩をひたすら独学で治しました。

体を研究して、
鍛えて鍛えて、
今の様に動ける様にまでさせました。

根本的な部分は何一つ治ってないのですが、
「動ける」
と言うことが何よりものエネルギーを生む根源だなと今は理解してます。

動けなくなると負のスパイラルに陥るなと。


だから
僕はどんな状況でも「動く」を選んでいます。

極端かもしれませんが、
動けなかった10年が合ったからこそ、
動かない事による弊害を誰よりも知っています。

動いてさえいれば、なんとか光は見えるだろうと。


だから、
何があっても動く。

真の壁とはそこなんだと僕は思っています。

壁があるとしたら超えていくしかなくて、
その壁が、じっとしている事で超えられるなら
じっと我慢します。

もしもその壁が動かないと越えられない壁ならば
苦しみがあろうと動きます。

それは、
病に対してだけではなくて、
全てのことに関してそうなんだと思っています。

会社も、仕事も、人間関係も、技術も、教育も。
お客様との関係も。


目の前に現れた壁

「越えるためにどうしたら良いのか?」

僕は
越えるためだけのことしか考えません。


だから今

非常に厳しい戦いをしてはいますが、
それも、なんとか超えていくしかないのです。

入院している方が気が楽です。

それなりに答えを医者が導いてくれるだろうから。


世間一般の常識が通用する体なら良いのですが、
あまりに複雑で、あまりにも病んでる箇所が多すぎるわけで。

仮にも、一週間寝て休んだとしても、首のヘルニアが悪化してしまい、別の問題が出てくるとかもありますしね。

内臓や、リンパ、熱とかだけではないんですよね。
とにかく複雑です。


だから、
求めすぎてはダメなんですよね。

何かを犠牲にして、必要なものだけを得る。

いつもそうやって選択してきましたから、
今回もキチンと選択し、超えていきたいと思います。


今は、
全力で回復し、来週のサロンワークに間に合う様にだけを考えています。

そのための最善を選択しているつもりではあります。


ちなみに、
この1ヶ月だけでも、高熱が出るのは3回目。

前回の2回は急性胃腸炎の様な物で、一週間苦しみました。

今回はまた違うケースでの高熱。

まともな日がないから
まともな日を待つのではなく、
その中で活動しています。






真の壁ってのは、
自分の中での超えるべき精神的なところを越えることなんだと。

それなんだと思う。

47年間、常に超えてきたはずですから
病程度に負けるわけにはいかなくて、

まだまだ
まだまだ

出しきれてないことがあるから
今日を乗り越え、

また、
こんな日が来た時には
「あの時は超えたじゃん」

次の時にも超えていく力を養えるチャンスにしたいです。

ネバーギブアップ💪

与えられた試練に感謝。





PS

僕が幼稚園の頃。
親友のきいちゃんと遊んでいた時に
足の裏に錆びた一寸釘が刺さり、足の裏から表までを釘が突き抜けました。

僕はそれでも泣かなかった。

錆びた釘を抜いてもらい、
ケンケンしながら車に乗ったのを覚えています。

消毒だけで治したのは今思うと間違いでしょうが…

幼稚園児だとしても、そこにある壁はいつも同じ。

超えるか、泣いて騒ぐか。


泣くのがダメとは思ってたのではなくて、
泣いても、問題解決にならない状況だなと判断したわけですね。

ビジュアル的にやばい足になってるわけですから…

騒いでも混乱を招くと。


いつだってそうなんだと思う。

冷静に思考を張り巡らさなければ超えていけない。

この体、ここまでこれたのも奇跡ではなくて実力の全てでしかないんです。

よくここまでこれたかもだし。
ここまでしかこれてないのかもしれない。

誰かと比べてもキリがないから
自分の感じた物で選ぶしかないですよね。


そうすれば、
ある意味では
全ての病の苦痛は余裕で超えられるはずですから。


苦痛は超えたとしても
病まない体とは別の問題だから。

全てを素直に受け止め、感謝し、
壁があるならば超えるしかない。