東京都/西東京市「東伏見駅」界隈の無人化見聞録-1から更に先へ進むと、この無人の戸建てがあった。

看板に「〇〇洋服店」とあった。

確かに洋服を売る店であれば、「洋服店」に何一つ間違いはない。だけど、「呉服店」とかはよく目にするが、「洋服店」と真正面から宣言されると、妙に落ち着かない。何か、特別のブルマとか、ベトコン時代の女学生専用の制服とか・・・とにかくかなり異質な「洋服」を取り扱っていたような気になってくる。まあーそれが商売として成立するかどうかは、よく分からないが、クズ屋もガラク屋も質屋も時代が変われば、表紙も変わる。それが何もかもが「過多の時代」の特徴の一つなのかもしれない。

 

一般的な古い用語として、「ファッション」とか「ブティック」とか、古着店とか・・・とかいろいろある。

そういえば、殆ど何も関係ないが、古い歌謡曲に「夜霧のハウスマヌカン」と云う、コミックソングのような、そうでは無いような不思議な歌が以前にあった。

私はこの「夜霧のハウスマヌカン」がわりと好きで、一年に2.3度、ユーチューブで聴く。中々、良い歌なのだ。

「やや」さんと云う歌い手が歌っており、あれから数十年経っているが、今も現役で歌っている。中々面白そうなのだ。

 

では、なぜ最も一般的な「ファッション」という言葉を使わずに、古典的な「洋服店」などと云う店名にしたのだろうか。

どう考えても、洋服店は和服店や呉服店の対立軸をイメージしている。もしかしたら、そこに何かヒントでもあるかもしれないが、全て終わったことでもあるのが残念だ。

 

私がもしトンマなクリエーターの端くれなら、アンサーソングとして「朝焼けのショップ店員」なんて云うのを企画して、しんしょうを潰しているかもしれない。

時代の新旧ほどつまらないものは無い。

撮影日:令和6年9月15日