東京都西東京市「保谷駅」界隈の無人化見聞録-7から更に先へ進むと、この無人の建物があった。
「よく分からい」
それが最後までまとわりつく建物だった。たぶん右2つのシャッターが降りたそれは別々の建物で、一番左側のそれが・・・そう本当に謎だった。商売が謎。そんなことがあるのだろうか。
人は分かりやすい人間もいれば、分かりづらい人間もいる。それは着ている服のことなどではない。
今でも、そして以前からずっと一定の流行なのだろうが、黒色ファッションで身を固めた若者や男女がいるが、そうしたつまらない人々の事ではない。自分の思考やその他いろいろがわりあいオープンな人間と、私のように別に深い意味が無いのにジッとして陰気な人間がいる。たぶん世間的には私のような人間はいつも何を考えているか分からず、突然突拍子ないことする「変な奴」とたぶん思われている。
別にそれがどうとも思わないが、あまりにも胡散臭いほどにオープンな奴は、どこかいかれていると思う。だからと言って、意味も無く考え込んでいるのが思慮深いとも全く思っていない。余計なことが面倒くさいだけだ。
商売もたぶん分かりやすい方が良いに決まっている。
魚屋は腐った魚を売っているより、新鮮なものを売っている方が良いに決まっている。
だけど、もうそれで生き抜いていけるほどこの社会は単純明快では無くなっている。
ラーメン屋が寿司を出したり、洋品店が古本屋を営んだりしている。だが、これは別に分かりづらいのとはやや違うだろう。
本当に分かりづらいのは、例えば「無印良品」とか言うお店だ。
ジシィーからしてみると、これ何屋と思う。たぶんそう思う時点で、お話にならないのだろう。
別にお話にならなくても構わないし、生きていけるが、腹が減って「無印」に行くなんてバカ臭い。同じことはイケヤでモーニングも変だが、若い人はそうでもないようだ。でもなぜご飯ぐらい自宅で食べないのか。それの方が圧倒的に変だ。
ずいぶん前、何かで読んだのだが、モーレツサラリーマンだった人間が定年退職を迎えた日、これからの毎日、何が最も寂しいかと尋ねられ、「毎日、通勤で乗り換える駅の端っこにある立ち食いソバ屋のおばさんからガラガラ声で行ってらっしゃいと云われなくなることかもしれない」とつぶやいていた。
他人様の優しさはそれぐらいがちょうど良いのかもしれない。
駅の立ち食いソバも昔からずっとわかりやすくて、とても良い。
撮影日:令和8年4月11日













