東京都/練馬区「武蔵関駅」界隈の無人化見聞録-18から更に先へ進むと、この無人の戸建てがあった。

1階で何か商売をしていた痕跡が色濃く残っていた。

フッと見上げると、色あせた小ぶりの看板が取り付けられたまま残っていた。

「マックスファクター」と。

私らの若者時代、このマックスファクターと、オーマンダムのマンダムは男女の化粧品の両巨頭だった印章がある。

ただ貧しい若者、就中、私のようなものには無縁だった。だからこそ、テレビCMや、その他の宣伝文句を、それらの愛好者以上に強烈に記憶している。しかしマンダムは別にしても、マックスファクターのその後名前を聞くことは殆ど無くなったし、CMを見ることも無くなったが、今でもどこかの傘下でブランド名の一つとして残っているようだ。ハッキリ言うが、堕ちた偶像ほどみっともないものはない。売れ無くなれば、みんな逃げ出すのは世の常なのだろうか。

 

今年の夏は強烈に暑かったし、今も暑いし、暑苦しい。ヒガンバナの開花も遅れ気味だと云う。

湘南海岸等での海水浴。

東京地方の人々にとって、嘗ての夏休みの最大の娯楽の一つが、江の島海岸あたりでの海水浴だった。

私も高校1年生のとき、クラスメイトと初めて江の島に海水浴にいった。

人出は物凄かった。何十万人が海岸に寝転ぶ。確かにビーチパラソルなんかも立ち並んでいたが、ビンボーな若者はただ水着のおねーちゃんたちを眺めて、妙な妄想に唯々ふけっていた。

そしてそのころ、突然のように「サンオイル」という日焼け用品が巷を席巻し始めた。

それがどんなものなのかも、誰もよく知らない。それでもそれを体中に塗りまくり、みんなかなり喜んでいた。

当時のサンオイルは高価だった。だからよく分からない小瓶に入った「サンオイルもどき」もずいぶんと売られていた。

そうそう、話は少し変わるが、世間には「サフランモドキ」と云う外来種の花がある。

サフランに似ているが、サフランとは何も関係の無いタマスダレの仲間で、タマスダレ同様に有毒植物だ。

植物名には「〇〇モドキ」と名付けられた植物がいくつもある。酷い話だ。

 

あるとき、やっぱりクラスメイトと江の島に海水浴に行くと、そいつは小瓶に何かの液体のようなものを入れて持ってきていた。

当人は「サンオイル」だと云ったが、とても怪しかった。でも生まれて初めて体中に「サンオイルみたいなもの」を塗りたくって、私も何故か卑屈に喜んでいた記憶は確かにある。

 

マックスファクターが「サンオイル」を取り扱っていたのかどうかは何も知らないが、それらはほぼ同時代だった記憶がある。

その後、「コパトーン」と云う日焼けオイルも登場したが、もうそうした妄想に明け暮れる私の時代は過ぎつつあった。

 

ここにも「美のマックスファクター」はあったのだ。

無かったより、「あった」ほうが良いに決まっているが、無くなってもなんの影響も無いと感じるのが、この社会の不可解なところだ。

撮影日:令和6年8月25日