東京都/練馬区「武蔵関駅」界隈の無人化見聞録-10から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

2階の窓からは、室内にモノが溢れている様子が垣間見られた。

それは日常生活用品なのか、それとも仕事にかかわっていた用品の残骸なのだろうか。

何はともあれ、今どきの人は誰もがモノを持ちすぎている。

 

私らのようにモノの少ない時代を生き延びてきた人間ならそれも分かるが、そうしたことの行き着いた先が、このモノばかりが溢れ、そして有り余る時代だ。それなのに、飢え死にする「高齢者」が毎年のようにニュースになる。この時代が「バケモノ社会」の側面を持ち合わせていることは確かなのだろう。

 

私は年寄りになった今でも、学校で履く上履きの夢を見る。

上履きの底が穴が開いている夢だ。実に嫌な夢で、もう何百回と見ている。

それは子供の頃の私の日常だったのだ。嫌で嫌でしょうがないのだが、何度母親にそれを訴えても新しいものを買ってくれない。

別に意地悪をされていたわけではなく、上履きを買う金が無いのだ。

仕方ないので、上履きの底から雨水などが入らないように中に新聞紙を敷いたり、靴下を重ねて履いたりしていた。

学校のトイレに行くと、掃除された後の水が残っていたりすると、穴からじわっと水が入り込んでいる。これが一番嫌だった。

そんな同じような夢をもう数百回と見ている。病気なのだろうかと、思ったこともあるが・・・。

 

モノって何ですか。

撮影日:令和6年8月25日