東京都/練馬区「武蔵関駅」界隈の無人化見聞録-8から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

全体に錆が浮き出ており、シミも目立つ。

2階はアパートだったようで、今でも住人用の郵便受けが錆びついたまま残っていた。

単純な感想だが、なぜこうして残っているのだろうか。たぶん、「残したい」と云う思いでは無いように感じる。

単純に、残ってしまっている。

 

多くの無人化建物はこの「残ってしまっている」の範疇に入るのかもしれない。

そしてそこには他人には知ることのできない「積み重ねられた時」があり、そしてそれにまつわるもっともっといろんな要素がこれから更にくっついてくるような予感だけはある。

 

「積み重ねられた時」は時間が経過すれば、消え去るのだろうか。

それは私たちの寿命を越えた先にはあるかもしれないが、それはほぼ余談に過ぎず、マッカーサーのような言葉にはならない。

 

それでもこの建物の先は、そんなに長くはないように思える。

この嫌らしい「効率化社会」はそんなに甘ちゃんではなさそうなのだ。

撮影日:令和6年8月25日