東京都/練馬区「武蔵関駅」界隈の無人化見聞録-5から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

嘗ては1階が何かの店舗で、2階部がアパートの造りである。

1階店舗は無人化していたが、2階のアパート部がどうなのかは近づくことが出来ないので、よくわからなかった。

 

私は1階に飲食店の入るアパートには入居した経験はないが、学生時代の友達は一時、居酒屋のような飲み屋に2階に住んでいたことがある。ただし、こいつは酒が全く飲めず、わりと物静かな男だったので、どうしてそんな奴が飲み屋の2階に住んだのかはよく分からなった。それでもほぼ2年間ほど住んで、東京で就職もせず、田舎に帰って親と一緒に農業をしていた。

そうして、ある日、電話をかけてきて、今度また東京に行くと言い出した。

話を聞くと、新劇の研究生に合格し、脚本家を目指すと云っていた。しかし、親と話しが折り合わず、父親と喧嘩になり、親にケガをさせ、それが理由がどうかはよく分からなかった、奴は2度と東京に来ることはなかった。

そいつから、「ふぞろいの林檎たち」の原作者山田太一が亡くなってすぐのころ、わりあい長文の手紙が届いた。

そういえば、昔、山田太一の脚本について、奴はいろいろ喋っていた。

山田太一は奴にとって、「希望の星」だったのだろう。

私の希望の星はやっばり既に無くなってしまった「長倉万治」と云う物書きである。

撮影日:令和6年8月25日