東京都/中野区「都立家政駅」界隈の無人化見聞録-6から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

継ぎはぎもあったし、取り外しのようなこともされていた。

だが、結論から云うと、「見捨てられた」、見捨てざるを得なかった。

そんな雰囲気を醸す無人化建物だった。

「見捨てる」にはそれなりの事情があったのだろう。

 

「キムタク」とか言う、気持ちの悪い中年タレントと思しき奴が何かのコマーシャルの中で、「・・・事情はみんなにある・・・」と云うような言葉を吐くシーンか嘗てあった。私に言わせると、相当にバカバカし内容だが、そんなことを一度も考えたことが無い人も世間にはいるかもしれない。と制作者側には強い錯覚があったのかもしれない。

 

しかし、そんなことを考えたことが無くとも、そうしたジレンマでか細く生きてきた人々はたぶんたくさんいる。

それが上記のような世間をなめたCMをつくり、キムタクとかいう気持ちの悪い中年タレントは無意味に発していたのだろう。

 

見捨てる事情等と云うのは、突然やってくるのではない。突然やってくるものには、人々は誰でも必ず対処しようとする。それは必ずしも自分の思い通りにならなくてもだ。だから「見捨てる」には、その前の長い長い時間の中にその原因は潜んでいると私は思っている。しかし、それを解決出来なかったのもまた己だろう。

 

自慢じゃないが、私は己が強いのか、それとも弱いのかが、年寄りになった今でもよく分かっていない。

撮影日:令和6年6月15日