東京都/中野区「都立家政駅」界隈の無人化見聞録-2から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

正面から見ると、そこにはちゃんと玄関があった。そして脇から横を見上げると、そこには外付け階段が設えてあった。

必ずしもそうではないだろうが、2階部は貸間かアパートだった可能性がある。そうでなければ、階段の必要性は・・・と書いて、いつも同じことを書いていて嫌になる。なぜ外付け階段が付せられていると、すぐそれに飛びつくのだろうか。

私の殆ど意味なのか古アパ生活で、2階に住んだことが無く、そして幼年期からずっと住み続けたオンボロ長屋もまた平屋だった。そんな殆ど意味を為さないことへの、じれた偏見がそうさせるのだろうか。

 

みんなそれぞれに事情があり、事情が全てに優先した結果の家づくり。それが庶民の生活感なのだろう。

 

外付け階段は上り下りするとき、一種独特の音がする。安普請のそれであればあるほど、そうなのだ。

 

今のご近所にもそんなアパートがある。

年に一度だけ、そのアパートの階段を上らせてもらう。なぜかと云うと、それを上った先の通路から見ると、隣の民家のお庭に植えてあるギンヨウアカシアの花が目の前に迫り、写真を撮れるからだ。だが、公園等のそれほど美しくは咲かない。程ほどでしかないのだ。だから年に一度だけ早い時期に写すと、それからは公園等で大きく咲くまでじっと待っている。

 

その時、どうにも安っぽいが、妙に懐かしくもある「あの音」が脳裏に響くのだ。貧しい時代の古アパのあの感覚がこれで蘇る。本当に嫌になるが、ギンヨウアカシアの開花を間近に見たさに、毎年1度だけそうするのだ。

撮影日:令和6年6月15日