東京都/西東京市「西武柳沢駅」界隈の無人化見聞録-21から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

所謂「町中華」の嘗ての姿だ。駅前商店街や住宅地で嘗てはよく見られた。

私の頃に「町中華」なんて言葉はなく、なんでだか知らないが、みんな「ラーメン屋」と呼んでいた。今、全盛の「ラーメン店」とは全くの別物で、カウンター席と僅かな椅子席を置く、ウナギの寝床みたいな町の中華店を当時はみんな「ラーメン屋」と呼んでいた。そう、あの頃の「道産子」を思い出せば、ほぼそれに当たる。私はそこの太麺ソース焼きソバはかり食べていた。

子供の頃は乾燥芋、そして学生の頃はカレー抜きの福神漬け、そして若いころは太麺ソース焼きソバ。それでも妙に頑丈に生きてきた。

 

所謂「町中華」のこうしたお店を、この無人化見聞録でもよく目にしている。

たぶん、どこもいろんな問題を抱え、そして高齢化しているのだろう。夕方、どこのテレビ局も垂れ流している「ニュースワイド番組」では飽きずにこうした「町中華」を取り上げている。そこで取り上げられているのは家族経営とか、人情とか、秘伝とか・・・そうしたことばかりで、見ている方はもっと他に伝えることはあるだろう・・・情けなくなる。

 

そういえば、新宿の場末の飲み屋で雇われ店長をしていたころ、当時住んでいた古アパの近所に小さめの商店街があった。そこは私鉄の各駅停車しか停まらない最寄り駅から続いているのだが、当時はウナギの寝床みたいな「ラーメン屋」がいくつもあった。

この間、とある雑誌を見ていたら、その辺りが外国飲食店が集まり、それなりに賑やかになっていると紹介されていた。

撮影日:令和6年5月18日