東京都/西東京市「西武柳沢駅」界隈の無人化見聞録-18から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

正面からこの建物を見ると、シャッター上の外壁部分で何かか取り外された痕跡が否応なしに目についた。

ここに看板のようなものが貼り付けられていた可能性がある。仕事「事業」が終焉を迎えれば、それは当然のことのように思われがちだが、この見聞録で見てきたプロセスから考えると、必ずしもそうではない。たぶん、そうする必要性を感じない人々が多数を占めているのが現実なのだろう。「立つ鳥跡を濁さず」こうした言葉が今でも見聞きするのは、やはり多くの人々が「立つ鳥跡を濁す」現実が巷にあるからなのだろうか。

 

しかし、ここの嘗ての人は、そうでは無かった。

「立つ鳥跡を濁さず」かどうかはよく分からないが、とりあえず自分のことは出来る限り最後までそうする。

それは生きてきた証でもあったのかもしれない。

また生きることの証であれば、そうすることがこれからも生き延びるために、最低限必要な事柄だったのかもしれない。

それは善悪など云う倫理観ではなく、本来生物に備わった行動様式なのかもしれないが・・・そう書くこと自体、相当に私も古い感覚の持ち主なのかもしれない。

撮影日:令和6年5月18日