東京都/西東京市「西武柳沢駅」界隈の無人化見聞録-15から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

正面から見ると、ちょっと変わった建物に見えた。だが、脇に回り込んでそこから見上げると、よくある形の民家を正面だ整理整頓して、何某かの店舗を構えた。そうした風情だった。こうした手法は嘗ての民家でよく見かけた。

人も家も建物もみんな同じだ。「見かけ」を工夫する。「見かけ」から入り、いろんなことを算段する。算数がそれほど得意でもない奴ほど妄想的算段に走る。

 

ここがどうだったかは知らないが、もうそんな妄想的思考で、商売が出来るほど、この社会は優しくない。

モノは溢れるほどある。しかしどれも安くはない。

「必要」と云うのが、よく分からない時代でもある。それは「不必要」もよく分からない時代になってしまっている。

 

生きるため・生き抜くために「必要」はある。

ずいぶん前、「エバーミルク」誕生秘話というのをどこかで読んだ記憶がある。

あんがい良い話だった。

でももうモノに「物語」は不必要な時代なのかもしれない。

気持ちの悪い「おとぎ話」は、どこか外国産の何とかランドでへらへらしてさえいれば、青い鳥のように幸せなんて、明らかにデタラメであり、嘘っぱちだ。

撮影日:令和6年5月18日