東京都/西東京市「西武柳沢駅」界隈の無人化見聞録-3から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

1階に2つ扉があり、片方は住居用のもので、もう一つはどことなく和風の飲食店だった面影が残る。

こちらは家主が営業していたものなのだろうか、それとも賃貸していた店舗なのだろうか。どちらにしてもこの建物自体、無人化していた。

 

私の若いころは、こうした和風の飲食店、そう小ぶりな「飲み屋」が住宅地の一角によくあった。

「おふくろの味」とか、田舎料理とか、そう、よく分からない「家族的雰囲気」の店で、威勢の良い可笑しなオバサンや爺さん・婆さんの営む店だ。たぶん、当時そうした雰囲気を好む人々が一定数いたのだろう。それは日本が妙な高度成長期で、出稼ぎの人々やそれに類似する人々がたくさんいたことの現れでもあったのかもしれない。

だけど、私はそうしたべっとり・じっとりした雰囲気の「小料理屋」みたいなものが苦手だった。そう、こじんまりした飲み屋も嫌いだった。そんな経験はないが、大きな旅館の大きな宴会場で一人ぽつんとビールなんかを飲んでいるのが良いと云う、私も偏屈だったが、知らない人と話すなんて、はなから嫌なのだ。

それだったら、バカみたく大声で叫び、勘定を度々間違える中年オンナがやっているバカ店の方が数段増しだ。

 

ずいぶん前、深川のアパートに住んでいた知人に連れられて、赤提灯街の婆さんが営む小さな飲み屋に行ったことがある。

別にどうてことのない所だったが、それから一月もたたないうちにその婆さんが亡くなったと知人に知らされた。

その婆さんはろくに客も入らない自分の店で、言葉は悪いかもしれないが、「死ぬ間際」まで働いていたことになる。

当然、詳しいことは他に何も知らない。

撮影日:令和6年5月18日