東京都/練馬区「桜台駅」界隈の無人化見聞録-17から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

静かなとても静かな佇まいの民家である。

無人だから「静か」と思うのは、甚だ間違いである。ある種の特殊な感じのする「賑やかさ」を残す無人民家のほうが圧倒的に多い。それた多分に、その家々の「過去」のようなものがまき散らされているからなのだろうか。よく分からない。ただ、あくまでも他人事として見てきた無人化民家は、ある種整理整頓(空っぽ含む)されたものと、明らかに放り出されたようなものの2つ大別される。

どうしてこのようになるのかはよく分からないが、それは元々の住人の日常の延長線上と見るのが、一番いいように気がする。

 

ここはある種、整理整頓された無人化民家の部類にはいるのかもしれない。

だが、植物は生き物なので、旧家人の意思とは無関係に生き延びている。

私は、ついついそうした姿(景色)ばかりを見ることになる。

撮影日:令和6年5月3日