東京都/練馬区「練馬駅」界隈の無人化見聞録-61から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

住宅地の崖ぎりぎりに建つ民家だった。当然、其処へは下の生活道路から細い急な坂道を上ることなる。

だから見晴らしも良い。しかし所詮は住宅地の見晴らしで、何か特段の景色があるわけでもない。それでも景色とか、日当たりとはかは金銭に変えられない価値がある。それはたぶん事実だろう。しかし、だからと云って、それが長続きする保証はどこにもないし、誰にもない。あるのは、いつも不完全な未来と願望でしかない。それも価値の一つである時期は誰にでもあるかもしれない。だけど、そうは長続きすることはあるのだろうか。

 

私は、「色が剥げる」と云うがわりと好きだ。

特に濃い色の剥げがいい。何か「平等」と云うのが滲んでいる気がする。いろんなことで、平等が真実なのかどうかはしらないが、色が剥げればみんな同じ、「デベソ」だと云う感慨がある。

 

ここの合板の玄関扉もまた塗装がだいぶ剥げていた。

それは扉を開け閉めした回数に比例するのか、それとも崖の下から吹き上げてくる雨つぶのせいなのだろうか。

どちらしても、色の剥げた感触は、無人とは無関係にとてもいい。

撮影日:令和6年4月7日