東京練馬区「練馬駅」界隈の無人化見聞録-4から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

すりガラスから垣間見られる室内はカーテンも無く空っぽだった。

「空っぽ」と書くと、それは以前は「賑やかだった」と勝手な意味合いがどうしても付きまとう。

そんな判断は、他人はすべきではないと思うが、知らず知らずのうちにそっちに滑り込んでいく。

それは私自身の思考に問題があるのか、そけとも「空っぽ」と云う言葉の持つ不可解さなのだろうか。

どちらにしても「無人」ばかりを書き綴っていると、「無人」のその向こう、そうそのずっと前のことがどうしても気になる。

確かに気になるが、そんなことは端から分かりようもない。

 

家は「賑やかで楽しい」。

そんな今では教科書でも書きそうにないことを年老いた私はずっと噛みしめている。

云っちゃ悪いが、他人様の「賑やかで楽しい」日常なんて、私には本来何も関係ない。

だけど、無人化した家々ばかりを見ていると、誰にとっても「賑やかで楽しい」はとても大切なことのように思える。

たぶん、そうした時間は、誰もが勝手に思い込んでいるほど長くはないのかもしれない。

撮影日:令和6年2月23日