東京練馬区「石神井公園駅」界隈の無人化見聞録-36から更に先へ進むと、この無人のアパートがあった。

生活道路側から見上げると、2階の屋根あたりに草が生えていた。

それは屋根のてっぺんからではなく、ちょうど雨どいあたりに生えているように見えた。

水が生命線の草にとって、どこから辿り着いたのかは定かではないが、泥や埃の溜まった雨どいは生き延びるのに都合が良かったのかもしれない。しかし、私が見たときはほぼ枯れていた。1/20あたりだったので仕方がない。春になればまた芽を出すのだろうか。それともまた風に舞ってどこかに旅立つのだろうか。

 

屋根と云うのは、家にとって不思議な場所だ。

今日は「雨漏り」については書かない。もう書きすぎているからだ。

家にとって屋根は不思議な場所である。屋根で家の何かか決まる訳ではないが、無いと絶対的に困る。確かに困るのだが、屋根屋以外に屋根のことはみんなよく知らない。床下のことも知らない。どちらにも何かがあるような気もするが、本当のところは何もないのだろう。何かの死体や死骸があることもあるが、それは殆どの場合床下で、屋根にはない。

近頃屋根に多いのは、ソーラーパネルだろう。

屋根には不思議な感覚がある。

 

小説家 長倉万治は「屋根にのぼれば、吠えたくなって」と云う素敵なエッセイ集を出している。

こんなエッセイを知るずっと前、私が子供の頃、カッチャンなんかと一緒にオンボロ長屋の屋根に上って、大声で叫んでいたら、オンボロ長屋住人にこっぴどく叱られた。

爺さんの一人がこんなことを云ったのを意味なくよく覚えている。

「屋根の上で遊びたいのはよく分かる。こんな小さな長屋だから遊ぶところが少ないのもよく分かっている。だけど、この屋根が潰れたら、わしらはもうどこにも行くところがない。ここが最後の住処なんだ・・・」と。

 

母親は室内で子供たちが駆け回っていると「床が抜ける」と酷く怒った。

オンボロ長屋は床下も屋根も、そして部屋の中も本当に中々だったのである。

 

そういえば、パンタと云うロックシンガーが嘗て「屋根の上の猫」と云う曲をリリースしていた。

私だったら、やっぱり「屋根の上のイヌ」だろう。

 

そうそう、ニュースか何かで嘗て「崖っぷち犬」と云うのを伝えていた記憶がある。

 

どれもこれもみんな中々だ・・・。

撮影日:令和6年1月20日