東京練馬区「石神井公園駅」界隈の無人化見聞録-35から更に先へ進むと、この無人の家があった。

玄関回りや、一階の窓回りに植えられていた庭木の枝葉がずいぶんと勢いを増していた。

この程度が限界なのか、それとも時間さえあればもっと勢いを増すのかはよく分からない。ただ、現在のこの姿こそが、このお宅の無人化した年月を表しているのは確かなのだろう。

 

やや大きめの建物は、そうしたことが必要だったのだろう。それはどのお宅もそうだろうが、家族の数がその主な要因だろう。

私が子供の頃は、そうした理屈が通用しないほど、どの家もの家族がいっぱいいた。その大半は子供だ。自分を含めて、本当に邪魔なほどいた。子供なんか全然大事にされなかった。家は狭いから、親はだいたい子供に「外で遊んでこい」と云う。

だから大半の子ども夕方までみんな外で遊んでいた。信じられないかもしれないが、子供の頃、公園ブランコは並んで順番待ちをして遊ぶ遊具だった。

家はご飯を食べて、寝る場所だった。

家で遊んでいると、母親はいつも「床が抜ける」と恐れていた。

 

子供たちが室内で遊ぶようになったのはいつごろからだろうか。

 

家は何をするところなのだろうか。

そんなことも今の時代ではよく分からなくなっている。

家にいても、友達と一緒にいても、みんなスマホをいじくっている。

そんなにいじくりたいなら、ずっと外でやってろ。

撮影日:令和6年1月20日