東京練馬区「石神井公園駅」界隈の無人化見聞録-29から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

2階へは外付け階段があった。詳しくは分からないが、1階は家主の住居で、2階がアパートと云った造りだったのかもしれない。

 

この建物はブロック塀で囲われていた。別に珍しいこともなく一般的な風情だ。

その敷地内に大きく育ったナツミカンの木があり、今が実の色づく季節なので、枝に実がいくつも付いている。そうした付いている実以上の数が既に落下していたのか、その落ちた実がブロック塀の上に並べられていた、置かれていたと云う表現のほうが正解かもしれない。

 

収穫しないモノなら他人にわければいい。しかしここは無人だから、そうする人はいない。

嘗てはそうしたことも行われ、それを貰った人が、嘗てを懐かしんで、こうしたことをしたのかもしれない。

無人化した民家の庭先では、放置された果樹が実を付けたままになっている姿をよく見かける。これは里山地区の出来事ではなく、大都市東京の住宅地のことだ。

 

秋、里山地区を歩いていると、無数の柿の木を目にする。

もう所有者のはっきりしない柿の木ばかりなのだろう。そうした中で、まだ所有者のいる柿の木に付いた実でも、食べないものを「必要な方はご自由にお持ちください」と張り紙されて、置かれているのを数年前から度々見かけるようになった。

 

「このナツミカンを貰った人がいる」

「このナツミカンが毎年色づくのを見ていた人がいる」

そうした記憶のある人が、落ちてそのままになっていたナツミカンをここに並べたのかもしれない。

撮影日:令和6年1月20日