東京中野区「新井薬師前駅」界隈の廃屋群2-19から更に先へ進むと、この廃屋があった。廃アパだ。

住宅地を走る生活道路から脇へ伸びる路地を入ったほぼどん詰まりにこの廃アパはあった。その先は別の土地所有者のブロック塀で塞がれていた。廃アパだから古臭く当然のように空っぽだった。部屋数は郵便受けの数からも分かる通り4つ。

そう、この廃アパを見て、思い出したことがある。

それはここもそうだったからだ。各部屋への扉が隣同士だったことだ。今でもこうしたアパートが多く存在するのかどうかは分からないが、少し考えれば分かることだが、各部屋への扉が隣同士と云うのは、やはり嫌だ。嫌でも家賃等を勘案して、当時私もこうした造り古アパに入居した記憶がある。

 

こんなような古アパに入居すると、隣の部屋の老人がよく私の部屋の扉を自分のものと間違えて、推したり・引いたり・鍵を突っ込んできたりと…困った記憶がある。その爺さんは昼間から酒を飲んでいるようで、そんな時に限って部屋を間違えてくる。もう既に認知症のようなものが始まっていたのかもしれない。それでもそれはそうとして、やはりそうした間違いは困るので、管理会社にその辺りのことを伝えると、翌日になって、その爺さんがブドウを持って、謝りに来た。しかしよく口の回らない言動から何で自分が詫びているのかもよく分かっていないようだった。

そしてその翌年、その爺さんは自室で倒れて亡くなっていた。管理会社の人が、そのことを私に知らせてくれた。別に知らせを受けるような立場でも、関係でもなかったが、聞かされたので、仕方なしに管理会社が行った質素な葬儀に私は出た。身寄りはいないようだった。

「袖振り合うも多生の縁」

そんなこともあるのかもしれない。

 

こうしたどん詰まりの脇道には、乗り捨てられた自転車がよく放置されている、ここもそうだった。

撮影日:令和3年12月30日