豊島区「都電面影橋停留所」界隈の廃屋群-20から更に先へ進むと、この廃屋があった。

この廃屋民家は一つだけ特徴的なことがあった。それは家の形ではなく、窓から垣間見れた部屋の中の様子の一部だ。

古いカビが生えたようなブロック塀に沿って、1階の小窓があり、その小窓からは、室内に積み上げられた「紙類」などがうず高かったのが分かった。それは1階ベランダ側の窓からも、それ以上にうず高く放置された姿が見られた。何か仕事でそうした紙類が必要だったのか、それとも何かの「作品」か、或は、処分するには忍びなかった「モノ」だったのだろうか。どちらにしてもこうされれれば、捨てられたり破棄されたりしたのと然して変わらない。私にそう見えたが、持主にはそうでなかったのかもしれない。何かもっと異質な理由が・・・だったのだろうか。

 

私はあんがいモノが捨てられる方だと、自分では思っている。過去にいろいろやって来たことの「書類等」や写真類などをはほぼ処分した。もっと普通に言えば、捨てた。嘗てどんなに精力を傾けたものでも、今のようなサイクルの早い時代では、どんどん過去のものになって行く。それでも世間様から多少なりとも認められたものなら、とっておく意味もあるかもしれないが、私にそうしたものは何一つない。学校の卒業証書もアルバムも何一つない。過去に繰り返してきた「引っ越し」の度に捨てたのかどうかも、実のところはよく覚えていない。だから「過去」は、今の手元には、ほぼ何一つないとは言い切れない。引っ越しに、何か意味があったとすれば、そうした「過去」をどんどん削り取って行ったと言うことかもしれないが、本当のところはどうなのだろうか。ただ面倒で、捨てただけかもしれない。それでもやっぱり人には捨てきれないものが守護霊か背後霊かは分からないが、付いて回っているのが本当のところだろう。だから、そしたことは敢えて考えない、考えてもしょうがな・・・で済ましているのかもしれない。

 

ただ時代の影響もあったかもしれない。ずいぶんと昔からPCを使っているので、最低限必要なものは、その都度PCに放り込んでいた。だから紙類等が少なくて済んだのかもしれない。しかしそのPCも当時のものは容量が少なく、新しいバージョンのPCに変える度に、保存していた「文書類」もほぼ全て削除し、今では殆ど何も残っていない。この日本廃屋の旅関連のデータも今はまだPCにあるが、さらに進めば、どんどん削除もしていくだろう。自分の考え方も他人様からの評価も、みんな「一定の時の中」にあるのだから。

 

この廃屋民家の窓から見られた数多くの「紙類」が何を意味しているのかは分からない。ただどちらにしろ、今のような早いサイクルで社会が動き回っている昨今、やがて、ただの「ゴミ屑」になるのは、しょうがないのかもしれない。

撮影日:令和元年11月9日