今日から東京都墨田区「小村井駅」界隈の廃屋群シリーズを始める。

東武亀戸線は曳舟から亀戸までの5駅しかない短い路線。東京下町ローカル電車と言ったら叱られるだろうか。

小村井駅は本来「おむらい」と呼ぶようだが、近頃は「こむらい」と呼ばれることもあるようです。

駅脇の遮断器を渡り、その道をまっすく進むつもりでいた。地図は持っていない。当然携帯用のカーナビなどもない。今までもずっとそうだし、これからもたぶんそうだろう。これは廃屋の調査ではなく、あくまでも廃屋の旅だから、地図はなくても構わないのだ。しかしこの日の旅はそれが大変だった。そのことは追々述べるが、写真の遮断器を潜った先の角にこの廃屋があった。

古い建物だったが、場所としては一等地で、すし屋、それも立ち食い専門のすし屋と看板には書いてあった。店の間口はそれ程大きくは無かったが、線路沿いに伸びる奥行きは結構あった。しかしそれがどう言うものなのか。例えば単に居住スペースなのか、それともアパートのような貸室構造になっているのかはよく分からなかった。ただの居住スペースだと、そこは相当に広いし、そうではなくもし貸室のような造りになっているのなら、それはそれで毎晩お寿司の匂いがして楽しかったのではないだろうかとも思う、勝手な想像だが。

間口の方はそうでもないが、脇の側面は相当に傷んでいたし、その造りも付け足しと言うか、補修の繰り返しでもあったかのように統一性がない。何も民家に統一性がなければならない事情というものは本来関係ないのかもしれないが、やっぱり見た目というのはあるだろう。中身は見た目の先にあるのが普通で、その逆は中々大変だ。

 

この元すし屋、「立ち食い専門」と記してあったのは先ほど書いたが、1個60円とも記されていた。どれもが60円だったとは思わなないが、一番安いのがたぶんその値段だったのだろう。私はいい年をしたおっさんだが、やっぱり今でも知らないすし屋には入りづらい。立ち食いであってもさして変わらない。そうなると、どうしても回転寿司かスーパーのパック入り寿司になってしまう。まあーロボットが握るか、パートのおばさんがそうするかの違いでしかないのだから、どちらも同じようなものだろう。値段も似たり寄ったりだ。

 

駅前商店街には以前は必ずすし屋があった。しかしそれもずいぶんと減ったように思う。そば屋も少なくなった。生き残っている商店街すし屋はカラオケで稼いでいるような状況で、今や和風スナックとさして変わらないのではなないだろうか。だったら回転寿司のほうが増しか。

 

私が最初に行った回転寿司は、池袋東口にあった「元禄寿司」で、高校の2.3年生の時だ。その頃、仲の良い友達と、月に一度ぐらい土曜日の授業が終わると、池袋のラーメン屋でチャンポンを食べていた。その時一人が「回転寿司と言うのが、あっちの方に出来たらしい、行ってみないか」となった。しかし、それでも寿司は寿司、結局は入ってみる勇気は出ず、それは1学期が終わった日、意を決して食べに行った。確かに皿に入った寿司がぐるぐる回っていた。結局高校生の私たちは3人が各々一皿ずつを食べただけで、店を出た。そして何故か分からないが、大声で「うぉー」と叫んで池袋駅まで走って戻った。その時、元禄寿司は一皿いくらだったのかは全く覚えていない。あんがい昔のことをよく覚えているのに、それだけはいくら思い出そうとしても記憶にない。それほど私たちにとって大きな驚きだったのか、それとも一皿しか食べられなかった悔しさだったのだろうか。どちらにしても、今もさして変わらず回転寿司かスーパーのパック寿司を食べている。

それにしてもあの頃の「元禄寿司」は今では殆ど見かけなくなった。大きなところに結局飲み込まれたのだろうか。

 

この1個60円の立ち食い専門すし屋も一等地と言う地の利を生かしきれずに、結局立ち行かなくなり、建物は廃屋になっている。しかし場所柄を考えれば、ここにはいずれ新しい建物が建ち、また激しい競争原理の中にまきこまれていくのだろう。それが私のよもやま話ではないのが、この社会の姿である。

 

最初に書いた通り、本来は遮断器のある道を真っすぐ行くつもりだったが、この廃屋を見たことにより、その行く先を変えて、線路脇から曳舟駅方面へ向かうことになった。そしてそこにはおびただしい数の廃屋があり、そうした家々に妙に懐かしく出会うことになる。

撮影日:平成30年10月28日