手の平上の柿ピー、(8)これで完結 | 三菱ジープの断酒日記

三菱ジープの断酒日記

千葉県柏市在住、2021年7月3日になれば70歳です。中国在住の日本語教師だったのは昔。他のアルバイトも昔。騒々しい人生で家族に心配と迷惑を掛けてきましたが、やっと落ち着き……と思うと、また新しい「迷惑」が……。

 ひこさんと私にまつわる話は、今回が最終回です。なんかもう、「手の平上の柿ピー」はどうでもいいことのようになってきましたが、ちゃんと締めくくりはつけないといけません。たとえ、私以外の誰も興味を持たない……全くだ……としても、です。

 ひこさんとの交友を……そういう名前に該当するものが「あった」とするなら……失って学んだことの一つは、「ひこさんと私とは、違う」という事実でした。極めて当たり前のことです。大人が大きな子どもではなく子どもが小さな大人ではないように、ひこさんと私とは、違う。私を賢くしたって決してひこさんにならないように、ひこさんの脳みそをバカに改造したって、この私のようにはならない。

 私はこの「当たり前」について、パソコンの蓋を何日も閉じたまま、考え続けました。一つの感情が、海の波よろしく寄せ、返し、また打ち寄せ、また引いていきました。ある日その波の上端は私の胸に達し、次の日は腰の高さがせいぜいで、あとは引いていきました。干満差は大きくなったり小さくなったりしながら、なお私の中から消えないのです。「まず、この感情は何なのか」と、私は考えました。数分かかりましたが、わかりました。

 屈辱、でした。

 まずは、最初から私の持つ情報は、ひこさんから(たぶん他の誰からも)あてになど、されていなかったのだ、ということに、思い至りました。もっと早くからそれがわかっていたなら、最初から沈黙しているが良い。しかし今回ひこさんの「これはあなたの中国人の友達に頼るしかないかもしれませんね」という冗談に、反応してしまった。結果、その「友達」たる若き留学生をまで巻き込むことになった。仮に彼女がその経緯を知らなかったとしても、です。ひこさんと呼ばれたかつての私の友人は言葉上は私から情報を求め、私はそれを持ち合わせないもんだから留学生に求めた。しかし、しかし、ひこさんにとって、最初からそんなものは必要じゃなかった。ないしメールに添付した例の情報は、すでにひこさんが知る所だった。だから「二枚目はないの?」というコメントにもなったし、それ以降の完全無視にも、なった。

 私の情報は、はじめから期待されていなかったという他はない。

 それが、私が行き着いた「屈辱」という二文字熟語の、中身でした。

 やむを得ない。屈辱を与えたひこさんとの関係を維持する必要はそもそもない、メールには無反応を決め込めば良いのであります。しかし留学生とは、そうはいかない。彼女はおそらくは懸命に探し、探り当て、肉筆の手紙を寄せてくれたのだ。彼女への感謝を忘れるほどの恥知らずでは、私は(まだ)ない。でも、情報は有用に生かされはしなかったのだ、という密かな申し訳なさは、抱き続けざるを得ない。それは、次回彼女と会ったとき、私のマインドをちくちくと刺すだろう。私がそんなこと彼女に打ち明けるか、打ち明けないか、それには関係がない。私は懺悔と悔恨から自由になれない。ひこさんは私と私の情報を尊重しないのだから未だ見ぬこの留学生に対し感謝も尊敬も尊重も、するわけがない。だいいち「いる『らしい』」と思っているだけで、どこにいる何という名前の人間なのかも男女どちらかも知っちゃいないのだ。

 考えすぎ? いえ考えすぎかどうかは「考える人間」が決めることです。

 私の間違いとは、なんだったのだろう?

 ひこさんは「あなたのお友達に頼るしかない『かもしれません』ね」とは、言った。決して「教えてくれ」と言ったわけではなかったのでした。ひこさんの言葉を拡大解釈して「たまには知的にひこさんの役に立ちたい」という思いを無邪気に抱いた、そこに私の間違いがある。しかもこのことへの反省を、もう今後に活かすことはできない。

 あらゆることを教えてくれたひこさん。彼に、たまには情報をもたらす側に、まわりたい。

 なんのことはない、最初からできないことをできると信じ、やろうとしていただけだ。

 七〇才の、子どもだ。いや子どもというのはもう少し直感が豊かではないか。

 そこまで考えが及んだとき、玄関で音がしました。配偶者が帰ってきたようです。居間に入ってきた彼女が私に向かって、スーパーの商品を二点、差し出しました。「あなたに頼まれたもの買ってきましたよ。柿ピーと発泡酒の缶ね。全く変わったものを愛好するものねえ。それとも写真にでも撮るとか? スケッチの素材にするとか?」と、配偶者。

 いえいえ、見つめるんです、忘れず買ってきてくれてありがとう、と私。

 見つめるう? 柿ピーを? と、配偶者。

 ええそうです、と私は頷きました。「それを見つめてると、何かがわかるような気がして」。

 言いながら、もうはるかな昔なのだ、と感じていました。公園のベンチで手の平に柿ピーを載せ、スーパーで買った発泡酒を飲む、そういう場で形式でしか、話せないことがあるような気がするんです、と私は言いました。当たり前だ。赤坂の「果林」でする会話と、例のこってりラーメンの「天下一品」でする会話とが同じであるわけがない。安倍首相はオバマ大統領をすきやばし次郎というくそ高い寿司屋に誘ったらしいが、それは会話内容がその場所を必要としたということだ。ないし、話が「ない」から場所が必要だったのだ。

 私の希望はついに実現することがなかった。ひこさんは冗談だと思ったのか、と過日は考えたけど、でもそうじゃないのでしょう、ひこさんはそういう図とその図が産み出す関係性を、拒否したのだ。ないし。

 手の平に載せた柿ピーがフィットするような「話題」を、拒否したのだ。

 配偶者が買ってきてくれた柿ピーと発泡酒をトートに入れ、家を出ました。

 「アナタどこへ行くの? 少し寒いわよ」と、配偶者。

 「公園のベンチでこれ飲むんです、で、歌うたうんです、いのち短し、恋せよ乙女、って」と、私。

 歩きながら、近くに住む娘に、メールを送信しました。娘からの返信はメールじゃなくラインでもなく、音声電話でした。

 今から柿ピーをつまみに発泡酒飲まない? 出てこられない? と、私。

 なになに意味わからない、と娘。すぐ近くに若菜寿司さんあるじゃない、そこじゃダメなの?

 私は、そこでする会話と、公園のベンチで柿ピーつまみながらの会話と、おのずから別なような気がするんです、と言いました。娘は、「あのねえ」と言ったあと、こう言いました。「そんな話題を持ってるって、すっごく贅沢なことだよ」。

 ぜいたく? と、私。アナタ、今、ぜいたくって、言った?

 そう贅沢。そう思わないの? と、娘。

 私は返答につまりました。

 残念ながら落日が近づいていました。娘は※※くん(十か月児の名前)を抱いて出てくることになります。風邪を引かせるわけにはいかないんだなぁ、と私は思いました。

 私は、ぜいたく、という言葉の意味について何度も何度も考えを反復させました。

 わからん、と私の脳の左側が言いました。

 わかってたまるか、と、右側が言いました。

 

 以上であります。