三菱ジープ命、カワサキ900ニンジャ命、一歳違いの奥さん命!

三菱ジープ命、カワサキ900ニンジャ命、一歳違いの奥さん命!

千葉県松戸市在住、68歳です。強がっていても骨密度と反射神経の衰えには悩んでいます。「人間はだんだん年老いていくのではない、ある日とつぜん、年老いた自分を『発見』するのだ・・by村上龍。」それ、半分正しく、半分あてはまりません。

 

 「次のブログ更新は111日、ピンキーとキラーズの今陽子の誕生日に」と書いたのは小童自身であります。要するに10月いっぱい、ちょっと頭を使う用事があったからでありますが、その予定を自ら破ってしまう小童であります。いいのであります、自分で立てた予定だし、これは小童の個人的日記なのだから。

 書いておかないと忘れる(いや、忘れないけど)かもしれない。感激は忘れないでも、細部は忘れてしまう可能性というのがある。

 おそらくは本年最後の、一族での旅行。発端は、おそらくこういうことだろうと思います。9月はじめ、このジィジ(小童)が、孫に約束した。配偶者の愛車であるフォレスターに長男が買ったチャイルドシートを着け、☆月☆日に海に連れて行ってやるよ、というものであります。孫、すなわち長男の子どもは非常に楽しみにしてその日を待った。しかしその日、あいにくの悪天候で海を見に行くことができなかった。それから日曜たびに諸事情のために海を見に行くことができなかった。孫は使える言葉の数をどんどん増やす、2歳であります。「海はいつ見に行けるの、海はいつ」と言い続けた。

 「彼との約束をどう果たすか」、それを聞きつけた一族の全体の問題に、いつしか発展していた。小童が全く近づけないLINEという世界がある。たぶんそこでだ。長女のだんなさんが、職場の親睦旅行の定宿にしている貸し切り別荘が九十九里浜のちょっと北にあり、そこを予約してくれたのだ。そのだんなさんも長女ももちろん長男一家ももちろん多忙だ、いちばん時間を取りづらいのが午前5時から23時まで仕事をしているという次男だが、彼も何とか都合を付け(前日つまり台風の夜は泊まり込みだったらしい)、なんとかここに、一族の旅行が実現した。

 1013日~14日、千葉県の海岸。

 小童はごくごく、ごくごくささやかに、誇りに思うことがある。何度か報告しましたがそれは家族の、一族の仲の良さであります。その全員の配慮のおかげで、孫に海を見せるという約束は果たされた。彼が海を見るのは実は二度目で、前回は今年の3月、東京湾の海ほたるだったのですけど、それとは根本的に違う。今回、彼は、波の来るところギリギリで、その接近と浜の感触を楽しんだのであります。いや、というかかなり緊張しながらではありますが。

 貸し切り別荘なので夜はバーベキュー。ここでも長女のだんなさんが腕を振るう。小童も、食材の買い出しの一部を担当した。火おこしと管理は長男が担当する。小童は孫と遊ぶだけ。んで食べるだけ。

 貸別荘ではあるけど、長女のだんなさんは調理器具を持ち込んだらしい。たいした人であります。話は前後しますが朝ご飯はこの人と、長男夫婦が作ったのであります。小童はコーヒーをずるずる啜りながらできあがりを待つ。

 夜に話を戻せば、ちょうどバーベキューが終了する頃、ラグビーの試合が始まる。赤道より南の国で1年半ほど暮らしたことのある次男が、ややこしいルールを解説してくれる。それでもラグビーのルールは覚えなかったが(もともと難しいのだ)、テレビの解説者の解説より、はるかに面白い、わかりやすい。

 翌日は雨で、残念ながらドイツ村もアンデルセン公園もパスしてみんなでお昼ご飯だけ食べて、解散しました。それでも、完璧な一族での旅行でありました。

 感謝を忘れてはいけない、と自分に言い聞かす、小童であります。

 次は……。

 若い人たちは、早くも年末、年始の計画を立て始めたようであります。

 

 

 

 無力感と、「それではあかん」という思考の間で揺れ動き68歳になるのにどうしていいのかわからない小童であります。

 大人であるなら若い世代には希望を語らないといけない。いつしか孫がこういう日が来る。

 

 「北極では氷が溶け何種かの生物が絶滅しアマゾンの酸素供給能力が阻害されて南の島がいくつか水没したけど、おじぃちゃんはそれを防ぐためになにをしたの?」

 

 ごほ、ごほ、と小童は咳をしてごまかす。孫や、痰の吸引をして欲しいから看護師さんを呼んでおくれ。

 

 「長期間にわたって空中に排出されたキセノンガスと海中に投棄された温排水と放射能汚染水と何よりえんえん無反省に内燃機関のついた乗り物から出た環境汚染物質のせいでこうなったって学校の先生は言ってるけど、それはボクが生まれる前からわかっていたのでしょう? 多くの人がこれじゃいけないって言ってたんでしょう? でもこうなったわけだよね。おじぃちゃんはその時どうしていたの?」

 

 ごほ、ごほ、ごっほっほ、孫や、看護師さんは来ないのかい。

 

 「看護師さん呼んでも吸引してもらえないよ。忘れたの? 千葉県松戸市の通電時間帯は夜の7時半までじゃん。」

 

 じ、じ、自家発電は?

 

 「おじいちゃんの社会認識はどこで止まっているの? 自家発電なんてできないってば。エンジン廻せばたちまちお巡りさん来るよ。」

 

 問題が明らかな時小童がしていたことは……。

 考えないといけない。小童は町の片隅で時給900円で暮らすアルバイターだった。小童がアルバイトしている現場では大量の電力と水を消費し、利益を出そうとしていた。小童はボケ防止と生存報告と称してブログを書いていた。コンピューターも光回線ももちろん電力で維持されそれを生み出すことは自動的に「環境汚染」だった。個人的に小童は、ささやかに、すごくささやかに、エレベーターは使わないとか車は使わず歩くとかなるべくものは捨てず使えるものは使うとか心がけてたけど、そういうのを「効果のない個人のヒステリー」と呼んで自分で軽蔑していた。

 

 とつぜん、小童はかっと目を見開く。

 

 「できることは、実はたくさんあったんじゃよ。一千万単位に広げないと『市民』の環境保護行動なんて意味がないというなら、一千万人に広げる努力をしてみるべきだった、それはでも当然できない、というか失敗に終わるから、次はなぜできないかを考えることになる。そもそも無理だったのかも知れないと考えはじめたとたん、それを正当化する言葉はつぎつぎ浮かんでくる。生きたい、旅行や映画鑑賞もして良い暮らしもしたい、満腹したい、それは得た権利だから手放したくない、しかし子や孫の世代の生存条件が阻害されることは明らかで、それは心配していた。

 

 なにそれ。小童はさらにかっと目を見開く。

 「心配していた」ぁ?

 みんなで意図的に目をそらしたのだ、生活は便利快適になった。嘘か本当か問題にしないなら地球の裏側のことが瞬時に知らされる情報(?)の氾濫の中で知らないことは何もないと思うようになった、それが小童だった、どんな真夜中でもほんの数十メートル歩けばコンビニが有りちゃんと店員がいてビールもジュースも冷えていた。

 その生活をいつまでも続けたい、しかし子や孫の生存は保証したい、だが状況は確実にそれが「無理」であることを告げていた。だから小童達は。

 

 巨大資本がそういう社会システムを作ったのだから「しょうがない」のだ。

 

 そう考えた。

 解決方法を模索したヒトはいなかったわけではない。問題意識を持って人々を啓発しようとしたヒトはいなかったわけではない。安部公房というちょっと変人がかった作家がいたが、将来陸地は消滅し地球は水で覆い尽くされるから、人類の突然変異を「誘導」しようとする科学者の運動(策動)がはじまる、という小説を書いた。人間は発生の時母の体内で必ず鰓と鰭のある魚類を通過する。その時の状態で成長を止め、水中生活に適応する人類の誕生を画策する。

 それを読 んだ時、小童の感想は三文字だった。

 「へえぇ」。

 別な作家は、完全に今の生活を続ける以外に生きる方途はないと開き直った。「地球はしょせん一個の消費物質なのだ。」

 小童の感想はたった一文字、増えただけだった。

 「なるほど」。

 ラルフ・ネーダー、レイチェル・カーソン、アル・ゴア、ワンガリ・マータイ、そしてグレタ・トゥーンベリ、大声であるいは静かに訴えるヒトは常にいた。だがそのうち過半数は、今の資本の運営方法を堅持するために利用された。「政治」がそれを正当化した。宗教という暴力装置やノーベル賞という不潔不浄な政治システムも遺憾なくその効力を発揮した。

 しかし気象は異常であり続けた。その異常はあきらかに加速状態にあった。

 何か不都合なことが起こる、起こりつつあるとみんな知っていた。雨は想像を超えて大量に降り台風の勢力は常識的に1950年代の伊勢湾を越えた。危機感は70億人類の全員が、持っていたのだ。

 だが、孫よ。

 

 なぁに、おじいちゃん、だんだん声が小さくなるよ。

 

 その時、つまり破滅の入り口に立っている時、人類は疑いもなく幸福の絶頂期だったのだ。乳幼児死亡率、平均寿命、戦争による人命損傷の暫減、人類の増加率、それらは人類が、東アフリカで誕生してから500万年、疑いもなく絶頂期だと示していた。その絶頂期に子や孫の生存のことを考えるのは、考えるのは。

 

 なにおじいちゃん、声が小さいよ、とても大切なことを言おうとしているようだけど。

 

 ・・・・なに、別に普通のことだ、人間は幸福の絶頂期、来たり来る絶望を想像することは難しい、というかできない、だが孫よ、その逆もまたあり得る、そういうことが言いたかったのだ、孫よ、まだ、息はできるか?

 

 できるよ、おじいちゃん。

 

 それなら、孫よ、君たち聡明な人類は、若者は、いまこそ希望のときにある。

 

 どゆこと? と質問するところだけど、わかるような気がする。2019年、おじいちゃん達は絶望していたんだね? 幸福だけど、絶望していたんだね?

 

 言葉に間違いがある。幸福だけど絶望、じゃない、幸福だから絶望していたんだ。孫よ、今人類は大変だが70億の全部が死ぬわけじゃない、誰かは生き残る。生き残って新しい人類の歴史を作る。じゃ自分はどう行動するのか? 決めるそのことが人生だ。それが、希望だ。

 

 わかる気がする。じぃちゃんがいつも言っていた、哲学、だね。

 

 そう。まぁ自分で哲学者だと名乗るヒトの99%はクソだけどね。

 

 だから2019104日を最後にブログを書くのをやめたの?

 

 いや、違う。それも単なるヒステリー。ところで痰の吸引は……。

 

 ボクがやってあげるよ、おじいちゃん。

 

 人間は幸福な時……。

 

 今まで本当にありがとうございました。次のブログ更新は111日であります。ブログを閉鎖するわけじゃないのであります。

 

 

 

 グレタ・トゥーンベリさんの発言に対して批判的なブログ記事を書いたら、思いがけない方から小童の考えの偏りないし間違いを指摘するご意見を頂いた。とはいえその方はご自身のブログにお書きなので、小童も自分の日記で意見を述べ直すという変則的な展開になった。おそらく北海道に帰り面と向かって話し合ったら一晩はかかるだろう、そんな問題だと思う。

 グレタ・トゥーンベリさんを「発言者としての個人」とは思えない小童の考えの出発点は、「また資本の側があらたな策動を」というものになる。彼女は本当に「16歳の少女」なのだろうかという疑いが、小童にはある。生活年齢はそうだし素朴な意味で「個人」という言葉を使うならそうだろう。そして、「将来世代が破滅の入り口にたっているという時にあなたがたは経済発展の話をして。恥を知りなさい」という発言の意味は正当だと思っている。それだけなら誰だって反論しない。

 しかしそれでも、小童は彼女を「個人」とは思えないでいる。仮に彼女の主張にそうだそうだと反応し、私たちはテレビを消し、エレベーターを利用せず(小童は実践している。アパートの5階に住んでいる)バスで20分ならしょうしょう上り坂でも駅までは歩くとか(これも実践)エアコンは使わず水を、電気を、ガスを、節約することは可能だ。個人なら可能だ。それは個人の「ヒステリー」で1000万人単位で実行しないと意味がないという小童の意見は国政選挙なのに投票率が五割を下回るという事象に結びついている指摘があったが、これには小童としていささか違和感を感じる。日記の最後に書く。

 無力感を振りまくような日記を書いたことについては反省している。シニカルになることはちゃんと将来世代を見つめないといけないオトナ(年齢だけは)として悪い態度だった。シニカルを振りまいてはいけないが、しかし小童の日記を読んでくださる方がこの小童だってある時期は相当に怒ったのだということを感じ取ってくださらないとしたら小童の文章力はクソなのだろう。

 私たちは街角のお店ではものをだんだん買わなくなっている。台東区三ノ輪商店街みたいに地べたにくっついたお店が繁盛する図がいつまでも続けば良いと小童だって思う。しかし当地には巨大資本のスーパーが「法を犯さず」建築中で、明日の姿は誰も知らない。書籍を売る独立系の店が松戸市内にいったい何件あるのか。アマゾンが本当に合法的なのかどうか小童は知らないがともかくその結果、大量の食材・食品は廃棄されトラックは走り回り大量の排気ガスをまき散らす。ハイブリッドのトラックなら生まれる過程でおびただしく地球を汚している。それらすべては(たぶん)「合法的」でしかも時に報道なんかされない。つい先日東電元幹部の判決が出たが、巨大津波の予測を立て対策を立てたかどうかなんて関係ない。政治も巨大資本も、意図的に「直視を避けてきた」結果が2011311日なのだ。

 「合法的」に無力感を覚えない。小童自身、そして小童より先進的な思考をできるヒトだって、便利だから、快適だからと、それらを利用する。今知りたいことがある時に独立系の書店なら10日は待たされる。アマゾンなら翌々日には配達される。ただその無力感を日記で振りまいたのは間違いだ。

 いっぽう。

 スウェーデンの16歳は?

 環境運動家が環境問題で「運動」する時、時にうさんくさい。何度も何度も何度も何度も書くがハイブリッド車もEVも激烈に環境を汚染する車である。原発は言うに及ばない。ある国は電力を生み出すのは原発の「アルバイト」で、じつは原子爆弾の原料を創り出すために稼働されていたりする。世界でいちばんたくさんのプルトニウムをため込んだのはいったいどこの国か、みんな知っているのに意図的に「言わない」。ラルフ・ネーダーはいい人かも知れないが緑の党は結果的にジョージ・ブッシュという超好戦的な大統領を生み出すことに手を貸した。出発点は知らないが結果的にロックフェラー財団の出資を受け巨大資本が批判をかわす目的で「利用」する組織になってしまったグリーンピースのことは言うまい、口が腐る。これらのヒトは結局は良くない趣旨から運動を始めたが、グレタさんだけは違うのだろうか。

 「あなただけは違うのか」と、小童は聞きたかったのだ。

 希望は、どこにあるのだろうか? おお思い出した、小童には孫がいるんだった。もう爺ぃはシニカルにはならないよ、と孫に約束しないといけない。あ、その孫は車と新幹線が大好きだが。(あじゃぁ)孫は、更に増える可能性もある。

 書いていることがバラバラだが、これからは小童はその「希望」について「も」考えよう。日本人は投票に行かないという。投票に行かないように(特に若者)巧妙に誘導されているという側面もあるが、(まぁ立候補者も絶望するほど低脳だが)しかしいっぽう、日本人の暮らしは1990年頃と比べ、極めて緩やかにだけど低消費傾向になっていると、小童は思っている。節約はささやかな「抵抗」だと、皮膚感覚で知っている若い人もいる。こうなると小童の言う「1000万のムーヴメントにならないと」は、マチガイだと言うことになる。

 間違いが、喜ばしい。

 

 続きます。