昨日、浦添市で行われた

2022年度ノーベル医学生理学賞受賞者

スバンテ・ベーポ沖縄科学技術大学院大学非常勤教授の講演を聞きに行った

 

 

いわゆる旧人の遺伝子の解析の話なのだが

ブライアン・サイクスの本を読んで

その分野にも(文系のくせに)興味があって

多少の予備知識もあったことから

非常に知的好奇心をくすぐられる講演だった

直接質問にも答えてもらったのだが

ノーベル賞受賞者に

直接質問できることなど

滅多にできない経験だ

 

 

講演内容もさることながら

印象に残ったのは

ペーボ教授がかつて

古代エジプトのミイラの組織から

DNAを採取した研究を

『ネイチャー』に発表したが

後にそのサンプルはミイラのものではなく

研究者のものであったという

自らの失敗を堂々と

PPTで公表されたということだった

 

ノーベル賞受賞者だって

間違いはするよ

それは恥ずかしいことではないさ

だってそれが研究というものだろう?

 

教授は間接的に

そのように教えてくれたのだろう

 

しかし、学界の片隅を

ちらっと覗いた事がある者として思うことは

日本の学者たちの中には

自分自身や過去の師匠筋にあたる大先生の誤りを

認めたくない人があまりにも多いということだ

 

歴史教科書を見よ

ひどいモンだ

 

そこには近隣諸国という

日本を敵視する国々への忖度という

倒錯した、異常に歪みのあるフィルターが

ガッチリと固定されていて

すでに否定されている

大先生から受け継がれた与太話や

明らかなプロパガンダが

いまだに堂々と記され

平気で検定を通過してしまって

 

筆者は教室で

ゴーストバスターのように

あるいはエクソシストのように

それを叩いて

生徒の目を覚まそうとしている

何十年もそれは変わっていない

 

研究に勇足があっても

それは仕方がない事だと思うし

新しい事実が発見されてそれを否定されても

それを認めるのが科学的な、そして学問的な態度である

敗北ではなく

新たなチャレンジのスタートじゃないか

 

歴史学が「科学」であるためには

事実にもっと目を向けるべきだろう

 

歴史を直視せよとは

日本人にその言葉を浴びせて恥じることを知らない

愚かな連中にこそかけられる言葉だろう