1960年代の名ドライバーに、ロータスのジム・クラークがいる。出場した72レースで25勝、PPは33回。63年と65年のチャンピオン。5度のチャンピオン、ファンジオの持つ最多勝24を更新した68年の南アフリカGPの後、32歳の若さでドイツ・ホッケンハイムのF2レースで事故死したという伝説のドライバー。
長く破られなかったクラークのPP記録を更新したのは、セナであり、セナはしばしばクラークと比較の対象になったりする。もちろん、僕はクラークを知っている世代ではないし、単に記録上でその偉大さを知るのみなのだが。
そのクラークが富士スピードウェイが完成した1966年に来日していて、当時の貴重な動画が残っている。
動画1
動画2
動画3
来日は3月。クラークはまだ30歳。F1ドライバーの中でも、当時最強。富士スピードウェイのイメージアップのためとは言え、よくぞ、招聘出来たものだと思う。
動画では、未見だったクラークの走りを堪能することが出来、また朴訥なその人柄も窺い知ることが出来る。クラークが存命であれば、同僚のグラハム・ヒル、後のチャンピオン、ジャッキースチュワートとの戦いはどうなっていただろうか。
クラシックな時代のドライバーながら、この動画を観るだけでも、クラークが日本で根強い人気を持ってる理由が分かるような気がする。