1966年3月、ジム・クラーク富士スピードウェイを走る | 日日不穏日記・アメブロ版

日日不穏日記・アメブロ版

gooで公開している同名のブログ(主に身辺雑記)とは別にモータースポーツに特化して立ち上げたブログ。現在はNASCAR推し。YouTubeで全36戦を追いかけます。オフシーズンは、他のモータースポーツの記事も書きます。

 1960年代の名ドライバーに、ロータスのジム・クラークがいる。出場した72レースで25勝、PPは33回。63年と65年のチャンピオン。5度のチャンピオン、ファンジオの持つ最多勝24を更新した68年の南アフリカGPの後、32歳の若さでドイツ・ホッケンハイムのF2レースで事故死したという伝説のドライバー。

 長く破られなかったクラークのPP記録を更新したのは、セナであり、セナはしばしばクラークと比較の対象になったりする。もちろん、僕はクラークを知っている世代ではないし、単に記録上でその偉大さを知るのみなのだが。

 そのクラークが富士スピードウェイが完成した1966年に来日していて、当時の貴重な動画が残っている。



動画1

動画2

動画3

 来日は3月。クラークはまだ30歳。F1ドライバーの中でも、当時最強。富士スピードウェイのイメージアップのためとは言え、よくぞ、招聘出来たものだと思う。

 動画では、未見だったクラークの走りを堪能することが出来、また朴訥なその人柄も窺い知ることが出来る。クラークが存命であれば、同僚のグラハム・ヒル、後のチャンピオン、ジャッキースチュワートとの戦いはどうなっていただろうか。

 クラシックな時代のドライバーながら、この動画を観るだけでも、クラークが日本で根強い人気を持ってる理由が分かるような気がする。