自滅するプロスト、ピケ逆転でタイトル獲得(1983年、南アフリカGP) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 1986年オーストラリアGPで優勝、大逆転で2年連続のタイトルを獲得した時にプロストは、「去年の初タイトルより嬉しいよ。何しろウィリアムズ・ホンダには勝てないと思っていたからね。・・・(中略)・・・ナイジェルの気持ちはよくわかる。僕も過去2回、最終戦でタイトルを取り損ねた経験があるからね」と語った。

 過去2回とは、ラウダに0.5ポイント差で及ばなかった84年と、その前年の83年のことを指す。ラウダと争った時には、マクラーレンでジョイント・ナンバーワン体制が敷かれ、チームともラウダとも関係が良好だった。そして、速さで上回り、年間7勝を挙げながらも、5勝ながら、確実さで勝ったラウダに敗れたのだ。

 だが、83年は違った。ルノーをドライブしていたプロストは、ヨーロッパラウンドが始まると優位に立ち、11戦目のオーストリアGPで優勝。2位につけるブラバムのピケに14ポイント差のリードを築いていた。

 「フランス人初のF1チャンピオンになれると思う」と、自ら宣言すらした。

 だが、続くオランダGPでプロストは痛恨のミスをする。



 2位走行のプロストは、42周目、ホームストレートエンドのタルザンヘアピンのインから、ピケを抜こうとした。・・・が、ブレーキングでリアタイヤをロックさせ、ピケにヒット!ピケはタイヤバリアに突っ込み、プロストはしばらく走ってリタイアしてしまう。

 ピケは十分なスペースを空けてくれていた。「完全に私のミスだ。でも何であんなことが起こったのか理解できない」(『セナVSプロスト』P.112)とプロストはコメント。

 ここまでプロストが率直に自分のミスを認める発言をしたのも珍しいが、前から不穏だったルノーとの関係がますます悪化していく。残り3戦。ピケは2連勝し、最終戦の南アフリカGPを迎えた時の両者のポイント差はわずか2ポイントとなっていた。

 ナーバスになっていくプロスト。「ブラバムはロケット燃料を使っている」と不法性を訴えた。真相はわからない。ただ、こうした発言が結果的にプロストをどんどん追い込んでいったこともまた確かなことだ。



 レースのスタート前にチャンピオン争いの決着はついていたのかもしれない。

 軽い燃料でリードを重ねていくピケ。それを重い燃料を積んだチームメイトのパトレーゼが続き、後続車をブロックする。最強のナンバー2の始まりはここからだったのかも・・・といえる走りでピケをサポート。

 全77周の半分も走らないうちにルノーのターボは壊れ、プロストはリタイア。ピケは安全走行で3位フィニッシュ。優勝はパトレーゼが2勝目を飾った。

 ピケ、2年ぶり2度目のタイトル。ルノーから責任追及される形でチームから去ることになるプロスト。あまりに好対照な結末だった。

 ピケ、ラウダという2人に最終戦でタイトルを奪われるという苦い経験がプロストを強くした。4度のタイトルは、偉大な先人2人と、驚異的な速さを武器に立ちはだかるセナというライバル相手に勝ち取ったものだ。そう考えれば、冒頭のプロストの発言の重みも増すというものじゃないだろうか。