タイトルが鈴鹿で決まった2週間後のアデレイド。市街地コースを得意とするセナはモナコ、デトロイトで強かったが、アデレイドは、この時点では未勝利(最終的には2勝)、プロスト2勝、ベルガー2勝。シーズンを良い形で締めくくろうと52回目のPPを決める。
2位ベルガー、マンセル、プロストと続く。
正直言って、日本GPがいろいろありすぎて、オーストラリアGPの印象は薄い。独走していた62周目、セナは単独でクラッシュ、タイアバリアに激突して、そのままリタイアする。ブレーキに問題を抱えていたという。
プロストはマンセルに大きく後れ、トップを走るピケとマンセルは激しくバトル。ピケはそのまま逃げ切り、鈴鹿に続いて2連勝。タイトルを獲得した87年以来、ピケは、トップドライバーとしての評価を取り戻した。
フェラーリを去り、引退表明をしていたマンセルは、ブーツェンに代わって、ウィリアムズと契約。再びに古巣に戻ることとなる。
翌91年のカナダGP。最終ラップまで、独走していたマンセルがストップしたのを横目に、ピケはF1キャリアで最後の勝利を挙げる。可愛がっていたチームメイトのモレノは、ベルギーGPでジョーダンからデヴューしたばかりの、シューマッハにシートを奪われ、次のイタリアGP前に解雇。
ピケとベネトンの関係は悪化、移籍を模索するものの、交渉はまとまらず、このシーズン限りでF1キャリアに終止符を打つ。
最後の勝利は因縁のマンセルと、引退の引き金は“次世代の新星”シューマッハ。4強で最年長のピケが最後の輝きを見せたのが、このGPだってことを考えると感慨深い。