ナニーニに捧げるベネトン1-2、亜久里初の日本人初の表彰台に(続・1990年日本GP) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 セナ・プロストが砂塵の中に消えた。この後味の悪い結果の中、さらにアクシデントは続く。この2台が消えた後トップになったのは、セナのチームメイト、ベルガー。が、そのベルガーも次の周の一コーナーに差し掛かったところで、前の周のクラッシュでコース上にまき散らされた砂に乗ってスピン、サンドトラップに捕まってリタイア。

 サーキットは異様な雰囲気に包まれる。

 マクラーレン、フェラーリの中で唯一生き残ったマンセルが、独走する。引退に花を添えるか?レースも半ば、26周でタイヤ交換のため、ピットイン。レース復帰する際に張り切りすぎて、ドライブシャフトを壊してしまい、マシンはピットロードの出口でストップ。

 ステアリングを叩いて悔しがるマンセル。

 トップ2が全滅すれば、粘り強い走りで繰り上がってくるのが、ベネトンのネルソン・ピケだ。悲劇に見舞われ、入院中の同僚ナニーニに励ましの言葉を贈り、心中、期するもののあったピケは一年前の勝者ナニーニに代わって、トップを快走する。



 続くのはナニーニの代役でベネトンのシートに座ったロベルト・モレノ。下積みが長く苦労人だったモレノを強く推薦したのは、ブラジル人の先輩であるピケだったのだ。セナ・プロのドラマはなくなったが、新たなドラマが鈴鹿で生まれた。ベネトンが1-2。

 そして、レース中盤に自らの最速ラップを何度も書きかえる積極的な走りで、鈴木亜久里が3位に浮上、中島も6位に。日本人ドライバーの大活躍に鈴鹿は大興奮に包まれる。

 後味の悪いスタートではあったけれども、最後は、感動的なフィナーレを迎え、モレノは「ナニーニとチャンスをくれたネルソンにこの2位を捧げたい」とレース後語り、号泣して、ピケに抱きついた。

 マクラーレンもフェラーリもいない表彰台。その中で亜久里は見事3位を獲得し、ベネトンの2人とともにシャンパン・ファイトを繰り広げた。