言うまでもなく、87年は、日本におけるF-1元年。この年から、ホンダにロータスにエンジンを供給。中島悟は開幕戦のブラジルGPから、デヴューを果たす。
この時代は、ウィリアムズ・ホンダの全盛期。同じホンダエンジンを搭載するとは言え、シャシーには大きな差があり、同僚のセナを以てしても、対抗するのは困難で、対抗馬は、3年連続王者を目指すアラン・プロストと思われていた。
ただ、86年のタイトルも、最終戦での大逆転で獲得したものであり、ジョイント・ナンバーワン体制で、口を聞くことさえなかったマンセル、ピケの不仲に助けられた面も大きい。
実際に予選が始まるとウィリアムズは、他を圧倒してフロントロー。2位ピケと3位セナには2秒近い差があり、87年も、ウィリアムズ中心のレース展開になることを予想させた。
レースはめまぐるしく順位の変わるものとなったものの、他チームがタイヤ3回交換を行う中、プロストが2回交換で走り切り、開幕戦を制し、通算26勝目。ジャッキー・スチュワートのGP最多勝にあと一勝と迫る勝利を収めた。中島は完走7位。
ただ、マシン・パフォーマンスで、正面からマクラーレン・TAGポルシェが戦うのは厳しく、プロストは堅実にポイントを重ねていく戦いを挑んでいくことになる。