子規紀行文の中の俳句(8) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「はて知らずの記」(4)

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介しており、その5回目として「はて知らずの記」の中の俳句112句、短歌17首を紹介する。

 

「はて知らずの記」は、明治26年(1893年)子規が25歳の時に、芭蕉の「奥の細道」の足跡をたどる一人旅に東北地方へ出かけた33日間の旅の記録であり、同年7月19日に東京の上野を汽車で出発し、東北地方の白河の関や松島などの名所旧跡を巡って同年8月20日に東京上野へ戻った。前回(第3回)は、7月29日の松島から8月1日の仙台までの俳句21句と短歌5首を紹介したが、今回(第4回)は8月2日の仙台から8月8日の最上川までの俳句22句と短歌4首を紹介する。

 

〇8月2日、大満寺に上り仙台の町を眺めた後、瑞鳳寺の伊達政宗廟に参詣し、旅館に戻り詠んだ句

 土用干や 裸になりて 旅ごろも

 

〇3日、旅館を引きあげて再び鮎貝槐園の南山閣を訪れ詠んだ歌

 旅衣 ひとりぬれつつ 夕立の 雲ふみわけて 君をとふかな

 

〇3日、4日と槐園とともに歌や句について語り合い、5日、南山閣を辞して出羽に向かうが、別れに際して詠んだ句

 涼しさを 君一人に もどし置く

 

〇広瀬川に沿って遡り、愛子村を通って山深く入ると、山の峰の形や雲霧の景色が変化に富み詠んだ句

 山奇なり 夕立雲の 立ちめぐる

 

〇作並温泉に泊まり、川の水音が聞こえ、涼しいさまを詠んだ句

 涼しさや 行灯うつる 夜の山

 

〇廊下伝いに絶壁を下って行き、温泉に入った様を詠んだ句

 夏山を 廊下づたひの 温泉かな

 

〇6日朝、温泉の周辺の景色を詠んだ歌

 見し夢の 名殘も涼し 檐の端に 雲吹きおこる 明方の山

 

〇作並温泉から天童方面へ向かう途中の関山峠を越える際に詠んだ句

 雲にぬれて 関山越せば 袖涼し

 

〇関山峠を越える人の中に10歳ほどの少女を見つけ、身に付けた袴が木曾人の袴のようで、愛おしく思い詠んだ句

 撫し子や ものなつかしき 昔ぶり

 

〇陸奥と出羽の境の関山隧道を通った際に、風が涼しく水も凍らんばかりに冷たく、その様を詠んだ句

 隧道の はるかに人の 影すずし

 

〇関山隧道を過ぎ、山を下ったところで昼食を食べて休んだ際に詠んだ句

 午飯の 腹を風吹く ひるねかな

 

〇さらに進むと大滝があり、そこで詠んだ歌と2句

 とくとくの 谷間の清水 あつめきて いはほをくだく 滝の白玉

 涼しさを 砕けてちるか 滝の玉

 滝壺や 風ふるひこむ 散り松葉

 

〇さらに進むと路傍の畑には煙草が作られており、所々には茅屋などが見られ、その様を詠んだ3句

 ほろほろと 谷にこぼるる いちごかな

 山を出て はじめて高し 雲の峰

 山里や 秋を隣に 麦をこぐ

 

〇さらに進むと天童と楯岡の分岐点に至り、道を右に進んで東根村を過ぎ、羽州街道に出た頃には夜になり、詠んだ句

 夕雲に ちらりと涼し 一つ星

 

〇楯岡に宿泊し、翌7日、疲れて歩行困難を感じながら詠んだ2句

 何やらの 花さきにけり 瓜の皮

 賤が家の 物干ひくし 花葵

 

〇三里の道を半日かけてようやく正午頃に大石田(最上川の船着き場)に到着したが、船便が朝とのことでここに宿泊することになり詠んだ2句

 ずんずんと 夏を流すや 最上川

 蚊の声に らんぷの暗き はたごかな

 

〇8日朝、川船で最上川を下るが、乗客は10余人で多くは商人であり人々の話し声が騒がしい。そんな中詠んだ句と歌

 秋立つや 出羽商人の もやひ船

 草枕 夢路かさねて 最上川 ゆくへもしらず 秋立ちにけり

 

〇正午に烏川に着くと4,5人が下船し、残りは5,6人となって船は急流の最上川を下るが、後からもう1舟が追って下っている。そんな中詠んだ2句

 舟引きの 背丈短し 女郎花

 蜻蛉や 追ひつきかねる 下り船