子規紀行文の中の俳句(6) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「はて知らずの記」(2)

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介しており、その5回目として「はて知らずの記」の中の俳句112句、短歌17首を紹介する。

 

「はて知らずの記」は、明治26年(1893年)子規が25歳の時に、芭蕉の「奥の細道」の足跡をたどる一人旅に東北地方へ出かけた33日間の旅の記録であり、同年7月19日に東京の上野を汽車で出発し、東北地方の白河の関や松島などの名所旧跡を巡って同年8月20日に東京上野へ戻った。前回(第1回)は、上野出発の7月19日から、7月23日の南杉田(現在の二本松市)までの俳句25句と短歌2首を紹介したが、今回(第2回)は7月23日の安達ケ原(黒塚)から29日の松島までの俳句23句と短歌3首を紹介する。

 

〇7月23日、二本松を過ぎ、安達ケ原の鬼女伝説で知られる黒塚の「鬼のすみか」と呼ばれる寺の小さなお堂で、老僧がその縁起を説明した際に詠んだ句

 木下闇 ああら涼しや 恐ろしや

 

〇阿武隈川の橋本にある茶屋で休息し、あるじの翁と話していると、一片の紙を差し出し、そこに書かれていた歌(光枝は賀茂真淵の門人)

 黒塚の 鬼の岩屋も 苔むしぬ しるしの杉や 幾代へぬらむ (大村光枝)

 

〇二本松を過ぎで満福寺へ向かう途中、道を迷いながら寺の近くで詠んだ句

 下闇に ただ山百合の 白さかな

 

〇やっと満福寺へ辿り着き詠んだ句

 山寺の 庫裏ものうしや 蠅叩

 

〇数年前の火災で満福寺は600年の建築が灰燼と化し、今は仮普請のままであり、御社は維新前の神仏混合と聞いて詠んだ句

 すずしさや 神と仏の 隣同士

 

〇満福寺の山号(飯出山)の由来について、源義経が奥州へ逃げる際、寺から飯を差し出された弁慶が、まだ山号が無いのを聞いて、それなら飯出山と言うべしと名付けた伝説を踏まえて詠んだ句

 水飯や 弁慶殿の 喰ひ残し

 

〇満福寺で月明かりに行水を済ませ、庭前に広敷(腰掛)を並べて涼んでいる時に詠んだ2句

 ひろしきに 僧と二人の 涼みかな

 御仏に 尻向け居れば 月すずし

 

〇満福寺に宿泊し、書院の真ん中に寝ころび、何とも言えぬ感動を覚えた心地を詠んだ句

 寺に寐る 身の尊とさよ すずしさよ

 

〇24日、満福寺を後にして、二本松から汽車で福島へ行き、12日の月明かりの下、郊外の信夫山公園へ向かう途中で詠んだ句

 笛の音の 涼しう更くる 野道かな

 

〇25日、荵摺の石(文字摺石)を見物に出かけ、芭蕉の句碑(早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺)や荵摺の石を見た際に詠んだ句

 涼しさの 昔をかたれ 荵摺

 

〇その帰路、福島から人力車で飯坂温泉へ行き、温泉に入った時に詠んだ句

 夕立や 人声こもる 温泉の煙

 

〇26日朝、旅館を出て小雨の中を歩き、摺上川にかかる釣橋(十綱の橋)に来た際に、想い出した古歌(千載集)

 みちのくの とつなの橋に くる綱の たえずも人に いひわたるかな (藤原親隆)

 

〇古歌のように、昔は綱を繰って人を渡していたが、今は鉄の釣橋を渡しているのを想いながら詠んだ句

 釣り橋に 乱れて涼し 雨のあし

 

〇向かい側の絶壁にある旅館(家々)の間から、一条の滝が落ちる様を見て詠んだ句

 涼しさや 滝ほどばしる 家のあひ

 

〇旅館に戻って昼寝をし、夢の中で浮かんだのが可笑しく詠んだ句

 涼しさや 羽生えさうな 腋の下

 

〇16,17歳の平蔵という召使いが「アメリカに行きたいのですが、どうすればいいでしょうか」と話すのが、志が大きく面白くて詠んだ句

 平蔵に あめりか語る 涼みかな

 

〇27日、少し前から体調が悪く、訪れたかった医王寺(義経、弁慶の太刀、笈など蔵す)に行けず、人力車で桑折に出たが、その途中葛の松原を過ぎ、その地を詠んだ古歌(覚英の辞世の歌、覚英は平安後期の僧)

 世の中の 人にはくずの 松原と いはるる身こそ うれしかりけれ (覚英)

 

〇体調が悪く、葛の松原の茶屋でしばらく休憩した際に、古歌を踏まえて詠んだ句

 人くずの 身は死にもせで 夏寒し

 

〇桑折から汽車で岩沼へ行き、体調が悪く昼飯も食わず、武隈の松も遠くて無理で、笠島(藤原実方:藤中将実方の墓あり)へ向かい、人に聞きながら笠島道祖社に辿り着き詠んだ句

 われは唯 旅すずしかれと 祈るなり

 

〇実方の墓の側にある西行法師の歌碑(朽ちもせぬ その名ばかりを とどめおきて 枯野の薄 かたみとぞみる)を見て哀れに覚え、自分の行脚の行く末を祈って詠んだ句

 旅衣 ひとへに我を 護りたまへ

 

〇その後、汽車で仙台へ行き宿泊、翌28日、旅の疲れから熟睡し、夜になり十六夜の月が澄み渡り、松島のことなど想い寝床に入りながら詠んだ句

 月に寝ば 魂松島に 涼みせん

 

〇翌29日、つつじが岡で遊んだ後、汽車で塩釜へ行き、塩釜神社へ参詣した時に詠んだ句

 炎天や 木の影ひえる 石だたみ

 

〇神社から塩釜の景色を眺めながら、昔を思い出し詠んだ句

 涼しさの 猶有り難き 昔しかな

 

〇小舟を雇って塩釜の湊から松島の真ん中へ漕ぎ出し、籬が島を詠んだ古歌(みちのくの まがきの島は 白妙の 浪もてゆへる 名にこそありけれ;藤原為家)を想い出しながら詠んだ句

 涼しさの ここを扇の かなめかな

 

〇松島の多くの島々(八百八島)を巡り、周辺の金華山、富山観音、観月楼、五大堂、瑞巌寺、観瀾亭など眺めながら、戻って観月楼に上り詠んだ句

 涼しさの 眼にちらつくや 千松島