子規紀行文の中の俳句(4) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「高尾紀行」 

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介している。前回は、その3回目として「旅の旅の旅」の中の俳句36句と短歌1首を紹介したが、ここでは「高尾紀行」の中の俳句34句を紹介する。

 

「高尾紀行」は、明治25年(1892年)12月7日、子規が先輩であり俳句の門人でもある内藤鳴雪を誘って、高尾山への一泊二日の吟行を行った紀行文である。この時、子規は25歳、鳴雪は45歳だった。本郷から新宿まで徒歩で行き、新宿から八王子までは汽車に乗り、八王子から徒歩で高尾山に登り、飯縄権現を参詣した。その後、下山して八王子で一泊し、翌日は日野駅から百草の松蓮寺、高幡不動を巡り、玉川を一の宮の渡しで渡り、府中で六所の宮を詣でた後、国分寺から汽車で新宿に戻った。以下に俳句34句を紹介するが、作者は子規が21句、鳴雪が13句である。

 

〇12月日の朝、子規が本郷を訪れて鳴雪を誘い、新宿へ向かった際に、鳴雪が詠んだ句

 きぬぎぬに 馬叱りたる 寒さかな (鳴雪)

 

〇汽車に乗り、車窓から富士の姿を眺めつつ鳴雪と子規が詠んだ5句

 荻窪や 野は枯れはてて 牛の声 (鳴雪)

 堀割の 土崩れけり 枯薄 (鳴雪)

 雪の脚 宝永山へ かかりけり (子規)

 汽車道の 一筋長し 冬木立 (子規)

 麥蒔や たばねあげたる 桑の枝 (子規)

 

〇八王子で下りて、その田舎の風景を鳴雪と子規が詠んだ6句

 店先に 熊つるしたる 寒さかな (鳴雪)

 干蕪に ならんでつりし 草鞋かな (鳴雪)

 冬川や 蛇籠の上の 枯尾花 (鳴雪)

 木枯や 夜著きて町を 通る人 (子規)
 兀げそめて 稍寒げなり 冬紅葉 (子規)
 冬川の 涸れて蛇籠の 寒さかな (子規)

 

〇茶店で休憩している時に、いろいろ古いものを見て子規が詠んだ句

 穗薄に 撫でへらされし 火桶かな (子規)

 

〇高尾山に登り、木の間から見下ろした八王子の家々を見て鳴雪が詠んだ句

 目の下の 小春日和や 八王子 (鳴雪)

 

〇飯縄権現に参詣した時に鳴雪と子規が詠んだ4句

 ぬかづいて 飯繩の宮の 寒きかな (鳴雪)

 屋の棟に 鳩ならび居る 小春かな (子規)
 御格子に 切髮かくる 寒さかな (子規)
 木の葉やく 寺の後ろや 普請小屋 (子規)

 

〇高尾山頂に上り、そこからの景色を眺めながら子規が詠んだ句

 凩を ぬけ出て山の 小春かな (子規)

 

〇下山して八王子で宿泊し、翌朝日野駅から百草の松蓮寺へ向かっていく時に鳴雪と子規が詠んだ2句

 朝霜や 藁家ばかりの 村一つ (子規)
 冬枯や いづこ茂草の 松蓮寺 (鳴雪)

 

〇高幡不動を参拝した時に鳴雪と子規が詠んだ2句

 松杉や 枯野の中の 不動堂 (子規)

 玉川の 一筋ひかる 冬野かな (鳴雪)

 

〇高原不動から玉川のほとりに出て、一の宮の渡りを渡る際に子規が詠んだ句

 鮎死で 瀬のほそりけり 冬の川 (子規)

 

〇府中まで行く途中で鳴雪と子規が詠んだ4句

 古塚や 冬田の中の 一つ松 (鳴雪)

 杉の間の 隨神寒し 古やしろ (鳴雪)

 鳥居にも 大根干すなり 村稻荷 (鳴雪)

 小春日や 又この背戸も 爺と婆 (子規)

 

〇府中で食事をした後、六所の宮を参拝し、国分寺から汽車で新宿に着くと時雨て、田舎へ帰る馬の足音が忙しく聞こえたので子規が詠んだ句

 新宿に 荷馬ならぶや 夕時雨 (子規)

 

〇帰宅すると、人が来て旅路の絶景は何かと聞いたので、「風流は山にあらず水にあらず道ばたの馬糞累々たるに在り」と答えて、試みに我句を披露しようと子規が詠んだ5句

 馬糞も ともにやかるる 枯野かな (子規)
 馬糞の 側から出たり みそさざい (子規)
 馬糞の ぬくもりにさく 冬牡丹 (子規)
 鳥居より 内の馬糞や 神無月 (子規)
 馬糞の からびぬはなし むら時雨 (子規)