子規紀行文の中の俳句(2) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

「かけはしの記」

 

ここでは、先の芭蕉シリーズと同様に、正岡子規が全国を旅しながら残した紀行文(年代順に、「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「高尾紀行」「鎌倉一見の記」「はて知らずの記」「散策集」)の中に記載されている俳句(及び短歌)について紹介している。前回は、その1回目として「水戸紀行」の中の俳句5句と短歌2首を紹介したが、ここでは「かけはしの記」の中の俳句19句と短歌9首を紹介する。

 

「かけはしの記」は、明治24年(1891年)6月25日から7月4日まで、芭蕉の「更科紀行」を意識しながら、子規が一人で木曽路を中心に旅した紀行文である。上野から汽車で横川まで行き、馬車で笛吸嶺(碓氷峠)を越えて軽井沢へ、浅間山を眺めながら、汽車で善光寺へ、川中島を過ぎて篠ノ井へ戻り、稲荷山、猿ヶ馬場峠、立峠、松本へ、そしてようやく木曽路へ入る。そして、芭蕉も通った奈良井、藪原、木曽福島、桟橋(かけはし)、寝覚ノ床、須原、三留野、妻籠、馬籠から美濃路に入り、伏見から小舟で木曽川を下り、木曽停車場まで旅は終わる。以下、俳句19句、短歌9首を紹介するが、子規の旅立ちに際して、友人のはなむけの3句(藤野古白2句、河東碧梧桐1句)と1首(竹村黄塔)を除き、作者はいずれも子規である。

 

〇木曽路への出立に際して子規が詠んだ句

 五月雨に 菅の笠ぬぐ 別れ哉

 

〇子規出立に際しての友人たちのはなむけの詩文(歌、句)

 ほととぎす み山にこもる 声ききて 木曾のかけはし うちわたるらん (黄塔:伽羅生)

 卯の花を 雪と見てこよ 木曾の旅 (古白)

 山路をりをり 悲しかるべき 五月哉 (古白)

 五月雨や 木曾は一段の 碓氷岳 (碧梧桐)

 

〇馬車で碓氷峠を越える際に詠んだ歌と句

 つづら折 幾重の峰を わたりきて 雲間にひくき 山もとの里

 見あぐれば 信濃につづく 若葉哉

 

〇軽井沢で浅間山を眺めながら詠んだ句

 山々は 萌黄浅黄や ほととぎす

 

〇善光寺に参詣した際に、大火で寺院や周辺の家々が焼失している中に、本堂のみが残っているのを見て詠んだ句

 あれ家や 茨花さく 臼の上

 

〇川中島付近の川の水が少なく、ほとりの麦畠も赤らんでいた。稲荷山というところで雨が降って来たので詠んだ歌

 日はくれぬ 雨はふりきぬ 旅衣 袂かたしき いづくにか寐ん

 

〇猿ヶ馬場峠付近の茶屋で、遠くの景色を眺めながら、これまでの苦しさや疲れを癒しつつ詠んだ歌

 まだきより 秋風ぞ吹く 山深み 尋ねわびてや 夏もこなくに

 

〇立峠で、道端に咲く白い花の名前を問うと、卯つ木と答えたのがうれしくて詠んだ歌

 むらきえし 山の白雪 きてみれば 駒のあがきに ゆらぐ卯の花

 

〇立峠で馬を下りると、鶯が突然鳴いた声に驚かされて詠んだ句

 鶯や 野を見下せば 早苗取

 

〇木曽路に入り、周囲の山の景色や水の様子、鳥の声などに夢中になり詠んだ句

 やさしくも あやめさきけり 木曾の山

 

〇木曽路の難所の鳥居峠で、若葉の風に夢を薫らせ、痩せ馬の力でよじ登る様を詠んだ句

 馬の背や 風吹きこぼす 椎の花

 

〇木曽福島に泊まった翌朝、大雨でいくら待っても晴れず、傘を買って詠んだ句

 折からの 木曾の旅路を 五月雨

 

〇雨が降ったり止んだりする中、芭蕉も訪れた桟橋に到着し、橋の下を流れる激流や、周囲に咲くつつじを眺め、芭蕉の句(桟や 命をからむ 蔦かづら)など思い浮かべながら詠んだ2句と1首

 かけはしや あぶない処に 山つつじ

 桟や 水へも落ちず 五月雨

 むかしたれ 雲のゆききの あとつけて わたしそめけん 木曾のかけはし

 

〇寝覚ノ床を見物した後、須原で宿泊し、名物の花漬を買って明日の山路のことを思いながら詠んだ歌

 寐ぬ夜半を いかにあかさん 山里は 月出づるほどの 空だにもなし

 

〇須原から三留野へ行き、昼飯を食べた店の女主人が、雨傘を与えた代わりに栗を貰って食べたが堅いので詠んだ句

 はらわたも ひやつく木曾の 清水かな

 

〇妻籠から馬籠峠の麓へ来て、ここを越えれば木曾三十里に出ると聞き、これまでを振り返り懐かしく思い詠んだ句

 白雲や 青葉若葉の 三十里

 

〇馬籠を下ると、田畑は麦の穂が黄色く、桑を植えて家では蚕を飼い、これまでの世界とは大違いと思い詠んだ句

 桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな

 

〇美濃路に入り、余戸村に泊まった翌日、晴れて歩くと山つつじが咲き、谷川が流れ、そんな風景を詠んだ句

 撫し子や 人には見えぬ 笠のうち

 

〇御岳山を越えて行くと、旅の疲れから歩くのも鬱陶しくなり、うとうとするも夕立で夢も見られず、浮世の旅なら仕方ないと詠んだ歌

 草枕 むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす 野路の夕立

 

〇伏見に泊まり、翌早朝に木曽川を下る舟場へ行くと、すでに諸国の旅人が7,8人待っており、詠んだ句

 すげ笠の 生国名のれ ほととぎす

 

〇舟で木曽川を何とか下りつつ、ようやく落ち着いて見渡すと、古松が青み渡り、岩間にはつつじが咲き残り、色とりどりの景色が面白いと詠んだ句

 下り舟 岩に松あり つつじあり

 

〇舟から下りて木曾停車場の近くで昼食を食べると、休む間もなく汽車が来たので、急いで停車場まで駆け付けた際に詠んだ歌

 信濃なる 木曾の旅路を 人問はば ただ白雲の たつとこたへよ  

(子規は最後に、「まるで戯画のようであり、この旅は「東海道中膝栗毛」の極意で終ったと記している)