中世の女流歌人(5) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

式子内親王

 

ここでは、平安時代から鎌倉時代に活躍した代表的な女流歌人の歌について紹介しているが、今回は前回の和泉式部に続き、式子内親王の歌を紹介する。式子内親王は、後白河天皇の第3皇女であり、母は藤原季成の娘成子である。久安5年(1149年)に生まれ、建仁元年(1201年)に死去したので、先に紹介した紫式部や和泉式部らよりも約170年ほど後に活躍した。亮子内親王(殷富門院)は同母姉、守覚法親王・以仁王は同母弟、高倉天皇は異母兄であり、生涯独身を通した。

 

平治元年(1159年)、10歳で内親王宣下を受け賀茂斎院に卜定、以後嘉応元年(1169年)まで約10年間、20歳で病により退下するまで賀茂神社に奉仕した。退下後は母の実家高倉三条第、その後父後白河院の法住寺殿内を経て、遅くとも元暦2年(1185年)正月までに、叔母・八条院暲子内親王のもとに身を寄せた。その間、治承元年(1177年)には母茂子が死去、治承4年(1180年)には弟の以仁王が平氏打倒の兵を挙げて敗死した。元暦2年(1185年)7月から8月にかけて、元暦大地震とその余震で都の混乱が続く中も八条院におり、准三宮の宣下を受けた。

 

八条院での生活の間、八条院とその猶子の姫宮(以仁王の王女、式子内親王の姪)を呪詛したとの疑いをかけられ、八条院からの退去を余儀なくされた。白河押小路殿に移り、建久元年(1190年)頃に出家した(法名は承如法)。建久3年(1192年)に父の後白河院が亡くなり、大炊御門殿ほかを遺領として譲られたが大炊御門殿は九条兼実に事実上横領され、建久7年(1196年)の政変で九条兼実が失脚したため大炊殿に移ることが出来た。建久8年(1197年)には橘兼仲の妻の妖言事件に捲き込まれ、一時は洛外追放を受けたが、その後処分は沙汰やみになった。

 

正治元年(1199年)5月頃から身体の不調が見られ、年末にかけて悪化した。翌正治2年(1200年)、後鳥羽院の求めに応じて百首歌を詠み、藤原定家に見せた。また同年、春宮守成親王(のちの順徳天皇)を猶子に迎える話が持ち上がったが、病のために実現せず、翌建仁元年(1201年)正月に死去した。享年53歳。

 

和歌は藤原俊成を師と仰ぎ、俊成の歌論書「古来風躰抄」は内親王に捧げられたものという。その息子の藤原定家とも親しく、養和元年(1181年)以後、たびたび御所に出入りさせている。正治2年(1200年)の後鳥羽院主催初度百首の作者となったが、それ以外に歌会・歌合などの歌壇的活動は見られない。現存する作品も400首に満たないが、その3分の1以上が「千載和歌集」以降の勅撰集に入集している(「新古今集」には49首、全部で157首)。家集に「式子内親王集」がある。

 

後鳥羽院は、近き世の殊勝なる歌人として九条良経・慈円と共に式子内親王を挙げ、「斎院(式子内親王)は殊にもみもみとあるやうに詠まれき」と賞賛した。また、詩人の萩原朔太郎は、式子内親王の歌の特色について、「定家の技巧主義に萬葉歌人の情熱を混じた者で、これが本當に正しい意味で言はれる『技巧主義の藝術』である。そしてこの故に彼女の歌は、正に新古今歌風を代表する者と言ふべきである」と高く評価している。以下、式子内親王の歌を、勅撰集などより50首紹介する。

 

 〇山ふかみ 春ともしらぬ 松の戸に たえだえかかる 雪の玉水

 〇ながめつる けふは昔に なりぬとも 軒端の梅は われを忘るな

 〇いま桜 さきぬと見えて うすぐもり 春にかすめる 世のけしきかな

 〇はかなくて すぎにし方を かぞふれば 花に物おもふ 春ぞへにける

 〇やへにほふ 軒ばの桜 うつろひぬ 風よりさきに とふ人もがな

 〇花は散りて その色となく ながむれば むなしき空に 春雨ぞふる

 〇この世には わすれぬ春の 面影よ おぼろ月夜の 花のひかりに

 〇忘れめや を草に 引きむすび かりねの野べの 露のあけぼの

 〇かへりこぬ 昔を今と 思ひ寝の 夢の枕に にほふ橘

 〇声はして 雲路にむせぶ ほととぎす 涙やそそぐ 宵のむら雨

 〇残りゆく 有明の月の もる影に ほのぼの落つる 葉隠れの花

 〇夕立の 雲もとまらぬ 夏の日の かたぶく山に ひぐらしの声

 〇窓ちかき 竹の葉すさぶ 風の音に いとどみじかき うたたねの夢

 〇うたたねの 朝けの袖に かはるなり ならすの 秋の初風

 〇ながむれば 衣手すずし ひさかたの 天の河原の 秋の夕暮

 〇それながら 昔にもあらぬ 月影に いとどながめを しづのをだまき

 〇ながめわびぬ 秋よりほかの 宿もがな 野にも山にも 月やすむらん

 〇更くるまで 眺むればこそ 悲しけれ 思ひも入れじ 秋の夜の月

 〇秋の色は にうとく なりゆけど 手枕なるる の月かげ

 〇跡もなき 庭の浅茅に むすぼほれ 露の底なる 松虫のこゑ

 〇千たびつ きぬたの音に 夢さめて 物おもふ袖の 露ぞくだくる

 〇更けにけり 山の端ちかく 月さえて 十市の里に 衣うつこゑ

 〇桐の葉も ふみわけがたく なりにけり 必ず人を 待つとなけれど

 〇風さむみ 木の葉はれゆく 夜な夜なに のこるくまなき 庭の月かげ

 〇見るままに 冬は来にけり 鴨のゐる 入江のみぎは うす氷りつつ

 〇さむしろの 夜半の衣手 さえさえて 初雪しろし 岡の辺の松

 〇日かずふる 雪げにまさる 炭竈の 煙もさびし 大原の里

 〇天つ風 氷をわたる 冬の夜の 乙女の袖を みがく月かげ

 〇玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする

 〇忘れては うちなげかるる 夕べかな 我のみ知りて 過ぐる月日を

 〇わが恋は しる人もなし せく床の 涙もらすな つげの小枕

 〇しるべせよ 跡なき波に こぐ舟の 行くへもしらぬ 八重のしほ風

 〇夢にても 見ゆらむものを 歎きつつ うちぬる宵の 袖の気色は

 〇逢ふことを けふ松が枝の 手向草 いくよしほるる 袖とかは知る

 〇君待つと 閨へも入らぬ 槙の戸に いたくな更けそ 山の端の月

 〇生きてよも 明日まで人も つらからじ この夕暮を とはばとへかし

 〇はかなしや 枕さだめぬ うたたねに ほのかにまよふ 夢のかよひ路

 〇つかのまの 闇のうつつも まだ知らぬ 夢より夢に まよひぬるかな

 〇恋ひ恋ひて そなたになびく 煙あらば いひし契りの はてとながめよ

 〇恋ひ恋ひて よし見よ世にも あるべしと 言ひしにあらず 君も聞くらむ

 〇つらしとも あはれともまづ 忘られぬ 月日いくたび めぐりきぬらむ

 〇ほととぎす そのかみ山の 旅枕 ほのかたらひし 空ぞ忘れぬ

 〇斧の柄の 朽ちし昔は 遠けれど ありしにもあらぬ 世をもふるかな

 〇天の下 めぐむ草木の めもはるに 限りもしらぬ 御代の末々

 〇暁の ゆふつけ鳥ぞ あはれなる 長きねぶりを 思ふ枕に

 〇今はわれ 松の柱の 杉の庵に 閉づべきものを 苔深き袖

 〇しづかなる 暁ごとに 見渡せば まだ深き夜の 夢ぞかなしき

 〇露の身に むすべる罪は 重くとも もらさじものを 花の

 〇あはれあはれ 思へばかなし つひの果て しのぶべき人 たれとなき身を

 〇幾とせの 幾よろづ代か 君が代に 雪月花の 友を待ちみむ