短歌(和歌)の歴史概観(23) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

明治・大正・昭和(和歌革新)

 

江戸の幕末から明治初年にかけても、歌壇は香川景樹の一派である「桂園派」の歌風が踏襲されていて、固定された美意識から抜け出すことができなかった。しかし、明治26年に落合直文が「あさ香社」を結成し、和歌(短歌)の革新意図をもつ新鋭歌人を集め革新運動の諸端をきった。集まった中には与謝野鉄幹、鮎貝槐園、尾上柴舟、金子薫園らがいたが、新旧折衷の不十分なものだった。

 

その後、「あさ香社」から分かれた与謝野鉄幹は明治32年に「新詩社」を設立して翌年「明星」を創刊し、明治中期から後期の浪漫主義の母体として多くの歌人を育成し詩歌壇に君臨した。この新詩社からは、与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、窪田空穂、高村光太郎,石川啄木,北原白秋,吉井勇,木下杢太郎,佐藤春夫らが出た。特に、鉄幹の妻の晶子は歌集「みだれ髪」耽美主義的、情熱的な歌で知られるが、後には浪漫主義的な歌を多く詠んだ。この「明星」により短歌の近代化が遂げられた。

 

一方で、俳句革新を遂げた正岡子規は、明治31年に「歌よみに与ふる書」を発表し、「古今和歌集」およびそれ以降の和歌を否定した。俳句で実践した「写生」の手法を和歌に導入し、「万葉集」を典範とすることを主張した。翌年には根岸の子規庵で歌会を実施、毎月歌会を開催(根岸短歌会)、「明星」の浪漫主義風と対立する現実的写実主義風の歌を詠んだ。この根岸短歌会には、伊藤佐千夫、長塚節、岡麓、香取秀真や俳句の高浜虚子や河東碧梧桐らが参加した。

 

子規没後には、伊藤佐千夫を中心に機関誌「馬酔木」が発行され、島木赤彦や斎藤茂吉らも参加し、後に「アララギ」へと発展していくことになる。この「アララギ」派には赤彦や茂吉以外にも、中村憲吉、古泉千樫、石原純、釈迢空(折口信夫)、原阿佐緒、土屋文明ら優れた歌人が出て、その後の歌壇の主流となっていく。

 

同じころ、与謝野鉄幹・晶子らの「新詩社」、正岡子規・伊藤佐千夫らの「根岸短歌会」のほかにも、革新的動きはあった。明治24年、佐々木信綱が父の興した「竹柏会」を継ぎ、明治31年に雑誌「心の華」を創刊して新風を吹き込んだ。その門下からは木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮らの歌人が出た。

 

また、「あさ香社」に加わった尾上柴舟は、金子薫園とともに「新詩社」の浪漫主義的抒情に対抗して叙景詩運動を起こし、のちに自然主義の影響下で内省的、懐疑的歌風となっていく。前田夕暮、若山牧水らとともに「車前草社」を結んだ。また、金子薫園は温雅な叙景と平淡甘美な抒情の歌を詠い「白菊会」を結んだ。ここから土岐善麿や吉植庄亮らが出た。

 

なお、旧派のなかにも桂園派に同調せず万葉調を詠う天田愚庵のような歌人も出た。愚庵はのちに正岡子規と交流し、子規の俳句や短歌に影響を与えた。

 

以下では、明治の和歌革新に大きな足跡を残した、落合直文、与謝野鉄幹、与謝野晶子、正岡子規、伊藤佐千夫、長塚節、佐々木信綱らの歌をいくつか示すことにする。


 

 父君よ けさはいかにと 手をつきて 問う子を見れば 死なれざりけり (落合直文)

 

 しもやけの 小さき手して みかんむく わが子しのばゆ 風の寒きに

 

 さわさわと わが釣り上げし 小鱸の しろきあぎとに 秋の風ふく

 

 砂の上に わが恋人の 名をかけば 波のよせきて かげもとどめず

 

 をとめらが 泳ぎしあとの 遠浅に 浮環のごとき 月浮び出でぬ


 

 野に生ふる 草にも物を 言はせばや 涙もあらむ 歌もあるらむ (与謝野鉄幹)

 

 韓にして いかでか死なむ われ死なば をのこの歌ぞ また廃れなむ

 

 あたたかき 飯に目刺の 魚添へし 親子六人の 夕がれひかな

 

 衰ふる わが青春か 詩の才か 夢に見るなり 枯れにし葵

 

 子の四人 そのなかに寝る 我妻の 細れる姿 あはれとぞ思ふ

 

 くちびるを 薔薇も尖らせ 諸手をバ 柳も伸べて 太陽を待つ


 

 金色の 小さき鳥の かたちして いちょう散るなり 夕日の丘に (与謝野晶子) 

 

 清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき

 

 その子二十 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな

 

 道を云はず 後を思はず 名を問はず ここに恋ひ恋ふ 君と我と見る

 

 沙羅双樹 しろき花ちる 夕風に 人の子おもふ 凡下のこころ

 

 海恋し 潮の遠鳴り かぞへては 少女となりし 父母の家

 

 黒髪の 千すぢの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもひみだるる

 

 
 くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる (正岡子規) 

 

 真砂なす 数なき星の その中に 吾に向ひて 光る星あり           

 

 瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たゝみの上に とゞかざりけり

 

 瓶にさす 藤の花ぶさ 花垂れて 病の牀に 春暮れんとす

 

 佐保神の 別れかなしも 来ん春に ふたたび逢はん われならなくに

 

 いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春行かんとす       

 

 くれなゐの 梅ちるなへに 故郷に つくしつみにし 春し思ほゆ


 

 牛飼が 歌よむ時に 世の中の 新しき歌 大いに起る (伊藤佐千夫)

 

 池水は 濁りににごり 藤なみの 影もうつらず 雨ふりしきる

 

 左千夫われ 牛飼なれど 楽焼の ひじり能牟許が もひ持ちほこる

 

 秋草の いづれはあれど 露霜に 痩せし野菊の 花をあはれむ

 

 世のなかに 光も立てず 星屑の 落ちては消ゆる あはれ星屑

 

 いきの緒の ねをいぶかしみ 耳寄せて 我が聞けるとに いきのねはなし 

 

 おりたちて 今朝の寒さを 驚きぬ 露しとしとと 柿の落葉深く


 

 垂乳根の 母が釣りたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども (長塚節)

 

 惜しまるゝ 花のこずゑも この雨の 晴れてののちや 若葉なるらむ

 

 萩こえし 垣をまがりて 右にをれて 根岸すぐれば むしぞなくなる

 

 管の根の ながながし日も 傾きて 上野の森の 影よこたはる

 

 眞白帆に いなさをうけて 川尻ゆ 潮の膨れに しきかへる舟

 

 蒼雲を 天のほがらに 戴きて 大き歌よまば 生ける驗あり


 

 ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲 (佐々木信綱)

 

 春ここに 生るる朝の 日をうけて 山河草木 みな光あり

 

 ゆきゆけば 朧月夜と なりにけり 城のひむがし 菜の花の村

 

 人の世は めでたし朝の 日をうけて すきとほる葉の 青きかがやき

 

 ありがたし 今日の一日も わが命 めぐみたまへり 天と地と人と

 

 よき事に 終りのありと いふやうに たいさん木の 花がくづるる


 

 朝咲きて 夕には散る 沙羅の木の 花の盛りを 見れば悲しも (天田愚庵)

 

 吉野川 岩切り通し ゆく水に かけて危き 芝橋も見つ

 

 ちゝのみの 父に似たりと 人がいひし 我眉の毛も 白くなりにき

 

 大和田に 島もあらなくに 梶緒絶え 漂ふ舟の 行方知らずも 

 

 まさをかは まさきくてあるか かきのみの あまきともいはず しぶきともいはず