よい俳号・悪い俳号(2)加藤かな文 | ハイクラヴァー

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うーん、とりあえずそんな感じで。

俳号って、特に男の人だったら、普通立派で見栄えのいい俳号をつけたがるわけで。

仮に僕が俳号をつけるとしても、きっとそうすると思います。
だって、「谷ふにゃ男」なんて名前だったら、真剣に俳句を作る気分になれない!
せっかくの非日常な空間なんで、多少は自分に酔いたいナというのが人情かと。

そういうところからすると、「かな文」という俳号は、随分立派でなくて、見栄えもあまりしない名前だなと(かな文さん、すみません)。何かしら由来はあるのだと思いますが、それにしてもへんてこな名前です。

しかし、かな文さん、作品もエッセイも素晴らしい。
ちょっと前に俳句研究で連載してた「俳句と出会わなかった」(正確なタイトル、失念しました)という短いエッセイも、少なくとも僕が読んできた現代の俳句の文章の中では抜群によかったです。端正で、簡明。読みやすく、かつ味わい深い。

いや、これは逆にかっこいいなと。「かな文」でこれをやると、むしろ非常にかっこいい。

そもそも、方向性として、どっちかですよね。

かっこいい俳号でへんてこなものを作るか。
へんてこな俳号でかっこいいものを作るか。

かっこいい俳号でかっこいいことをやろうとするから、大体の男の俳人は「ださい」ことになっているのだと思われます。