蝶も透くガラスのやうな沓下はく   中山純子

 

(ちょうもすく がらすのような くつしたはく)

 

昭和27年作。

女性の素直な感動が歌われています。

そのことに、私も感動します。

 

これは、今のストッキングのことでしょう。

戦後、強くなったのは、女性と靴下(ストッキング)である。

と、言われた、その「ストッキング」です。

 

この句が詠まれた二年前の、同じ中山純子の俳句に、

〈赤い足袋買つて欲しいと粥を炊く〉

という句があり、この「足袋」は、タビックスの事だと自註にはあります。

この句から2年、赤い足袋どころか、

「ガラスのようなストッキング」が登場します。

手を通してみて、まるで透き通るようなナイロンに、

「夢のように美しいと思った」と書いています。

 

「はじめてナイロンのくつ下を見たとき、夢のように美しいと思った。なかなか穿けなかった。」

 

自註に記された感動は、歴史的に見ても価値ある証言のようです。

当時、はじめてストッキングを目にした女性たちは、

その美しさに息をのみ、宝石のように大切にし、

すぐに使うことができなかったのです。

 

現代を生きる私たちも、いずれ歴史に消えてゆく事々に、

驚き、感動し、一句にしているのだと思います。

それは、無駄なことではなく、とても美しいことです。

進歩する社会の一歩も、変わらぬ人の心も、俳句もすべて、

悠久の時の流れの一瞬、一瞬を作り上げているからです。

その想いが連なって、歴史を形成します。

 

素直な感動を、素直に書きとどめていけたらいいと思いました。

俳句を詠む醍醐味です。

 

ダウンダウン ダウンダウン ダウンダウン

カノン音譜