手話の手のいきいきとして御慶かな   越桐三枝子

 

句集『叙唱』より

 

手話がお出来になることは聞いておりました。

大会や同人会でお会いしても

そのチャンスが無くて、一度も拝見したことはありませんでした。

 

が、ある時、

それは、「雉」全国俳句大会が呉で行われたときだったと思います。

食事の後の余興で、どなたかが歌を披露されたとき、

その場の雰囲気だったでしょうか、越桐さんが脇で、

歌詞を手話で表現されました。

 

それは優雅で、言葉にふさわしく、訴えてくる力があり、

語りかける何かがあり、また、余裕がありました。

 

あまりの美しさに拍手をしてしまいましたが、

その時に、お隣の方が、

「越桐さんは、紀子様と手話をされていたんですよ」

と教えてくださいました。

なるほど、御公家さんの言葉のように

おっとりした美しさがあったのは、それだからかと

漠と考えたことを思い出します。

 

手話の手のいきいきとして御慶かな

 

手話の手が生き生きと語りかける、それは、

御慶という季語にふさわしいでしょう。

ハンディを負って生きるのは、簡単ではありません。

私たちにとって、普通のことにどれほどの努力が必要だったでしょうか。

しかし、苦労を乗り越えた方は、美しいものです。

 

心の気高さを思わせ、読む者に勇気と希望を与えてくれるでしょう。

「いきいき」とした生を詠わずにいられません。

年の初めの素敵な出会いだったのだと思います。

 

 

 

カノン